その夜、幸村は全力で政宗をもてなしていた。好敵手であり一国の主でもある政宗は、戦場では何度も刀を交えた相手でもあるが、武人として尊敬できる一人だ。その政宗が、上田にいる以上、盛大にもてなすのが己の役目だとも感じていた。
また、のためでもあった。あの夜会合から戻った幸村は、と佐助の間に流れる空気が朝のそれとは異なることに気付いた。佐助の思うようにしろと言い切った以上、幸村には責任がある。しかし、それによりを苦しめてしまったのでは本末転倒だ。
と佐助、またと政宗、そのいずれにもひびが入らぬように、などと甘い考えが通るわけもないとは理解している。しかしながら、出来る限り波風を立てず、何よりこれ以上を苦しめずに事を運びたかった。
「よお、真田。お前、に惚れてんだろ?」
政宗はしたたかに酔っていた。政宗とは幾度か杯を交わしているが、ここまで酔っている政宗を見たのは初めてだ。どう答えたものかと幸村は口ごもるが、酔いもあってか政宗は上気させた顔を幸村に寄せる。
「隠すことはねえだろ。あの日のあの顔見りゃ誰だってそう思うさ。今朝にしたってそうだ。俺とアイツに割って入ったのも、ただ、アイツを守るためだ。違うか?」
あまりにしつこく政宗が食い下がるので、幸村は渋々頷く。こんな時に限って小十郎はいない。主不在の城を空けてはおけぬと小十郎が留守役を買って出たそうだ。小十郎以外に政宗を制する者はこの場には居ない。肯定してしまった以上、申し訳ありませぬと小さく謝罪を述べたが、上機嫌とも不機嫌ともとれぬ表情の政宗は、何も答えず酒を口にした。
「旦那、ちゃん寝たよ」
「そうか。佐助、ご苦労だった。お前もどうだ?」
ふと隣に現れた佐助に労いの言葉を掛け宴に誘うが、佐助は曖昧な微笑みを浮かべただけで、差し出された杯を受け取ったがそれを口にしようとはしない。その視線は、政宗に向けられている。
「Ha, 随分な歓迎じゃねえか。真田、テメーの所の忍は客人を威嚇するのか?」
「さ、佐助。宴の席でそのような態度は、」
「冗談だ、構いやしねえよ。さしずめ、嫉妬に狂った忍が恋敵を討ちに来たって所だろうな」
「独眼竜を討って事が済むなら、俺様もこんなに苦労しないね」
どちらも口元には笑みを浮かべているが、目には全く逆の感情が宿っている。幸村はどうしたものかと頭を掻いた。佐助との間に何があったかは知らぬが、佐助がここまで挑戦的に態度に表すとは。俺は忍だからと口癖のように言う佐助のことだから、への想いを認めたところで、そう易々と政宗に仕掛けるなどとは予想もしていなかったのだ。
その場をどうにか落ち着かせ、宴もたけなわを迎えたところで政宗を客室へと案内し、幸村自身も自室に戻る。しかしどうにも眠れず、体が赴くままの部屋へ向かっていた。寝顔を見れば、この胸のざわめきも収まるかもしれない、と。
本来は声を掛け了承を得てから入室するべきだろうが、それによりの睡眠を妨げてしまっては申し訳ない。そっと襖を開け、の顔だけ見てまた自室へ戻ろうと幸村は考えていた。
しかし、予想に反しては起きていて、襖を開けた幸村を捉えると、驚いたように瞬きをした。
「こんな時間に、どうしたの?宴会だったんでしょう?」
「いや、その、何やら眠れず、殿の顔を見れば、落ち着くのではと・・・」
「ふふ、私も眠れなかったからちょうどいいよ。少し、お話しよっか」
の提案に、幸村は尻尾を振る子犬さながら喜びを見せて飛びついた。失礼いたしますると口では言っているものの、そそくさと襖を閉じては体を起こしたの横に腰を下ろす。
「殿は、明日には奥州へ帰ってしまうのでござりますな」
「そのことだけどね、迷ってるんだ」
幸村は思わず言葉を失った。迷っている、つまり、上田へ残ることを検討しているとは言うのだ。それは幸村にとって喜ばしくはあったが、複雑であるには違いない。が、自ら望んでその発想に至ったとは、どうしても思えなかったからだ。
「佐助と、何かありましたか?」
「何も聞いてないの?」
の問いに幸村は無言で頷く。やはりそうか、と自身のとった行動を一瞬省みたが、佐助を責める気は毛頭ない。忍であることを忘れ感情を持ち動いてくれたのは幸村にとって大変喜ばしかった。その結果、を悩ませていることには変わりないが。
「話を、聞かせていただけませぬか?」
小さな相槌を打ったは、ゆっくりと、時々言葉に詰まりながら、抱えていた思いを全て幸村に打ち明けた。過去の恋人、政宗への想い、そして今いる佐助への戸惑い。自分が欲しているのが誰であるのか、何に迷い何に躊躇っているのか分からない、と。
「色々考えていたらね、なんて移り気で優柔不断な馬鹿なのかなって、自分でも呆れてきちゃった。もう、消えてしまいたくなるの。だって、私がいなくなれば、全てが丸く収まるでしょ」
「・・・それは、違いまする」
幸村はの言葉を力強く否定した。の瞳が見開かれ、不安げな表情で幸村を見つめる。しかし、幸村は己の出した答えが間違っているとは思わなかった。
「殿は、ただ逃げたいだけではありませぬか?悩むことに疲れて、決定権を委ねられている現状に恐れをなして、ただ、逃げているだけのように、某は思うてなりませぬ。
殿、己に正直になられよ。目を逸らしていては大切なものを見失ってしまいますぞ」
幸村は真っ直ぐを見ていた。そこに逃げ場はない。が、自身で答えを導き出すまで動かぬといった意思が感じられる。は思わず息を呑んだ。
「大切な、もの?」
「某はお館様に教わり申した。迷いが生じた際には目を閉じ、己の胸に問うてみよと。視界に頼らず浮かんだものこそ、目指すべき道である、と。殿の瞼の裏には、誰が居るのでござろうか?深呼吸をして目を閉じてみてくだされ」
実行するまでもなかった。目を閉じて浮かぶのは、いつも一人だ。どれほど迷いに揺らめいていようが、目の前に誰がいようと、どんな景色があろうと、目を閉じてしまえばそこにいるのは、ただ一人。
「政宗さん・・・」
「それが、殿の大切な御人でござろう」
幸村はゆっくりとそしてしっかりと頷き、優しく微笑む。の出した答えを耳にするまで、進言をした幸村もどちらが正解かなどと悟っていたわけではない。どちらがよいなどとも決めつける権利もその気もなかった。政宗であろうが佐助であろうが、が誰より強く想う人であれば、笑顔で背中を押してやりたかった。それが、幸村のに対する愛情表現の一つでもあった。
「さあ、殿、明日からはまた長旅が始まりまする。今宵はしっかりと休まられよ。佐助へは某から話しておきましょう。従者を導くのも主の務めにござりますれば」
心配は無用だと、の瞳からこぼれた涙を慣れない手付きで拭ってやりながら、眠りへと誘う。子をあやすように、優しく頭を撫でれば、少し照れくさそうには微笑んだ。そして幸村は、が寝息を立てるまでその場を離れず、ただ静かにを見守っていた。
が寝入ったのを確認し、幸村はそっと部屋をあとにする。自室に戻れば、入り口に佐助の姿があった。ひどく悲しげな笑みを浮かべている。
「聞いていた、か」
「まあね。こんな時ばかりは忍の習性を恨むよ。にしても、人間の欲望ってのは厄介だね。一度蓋を開けたら次々に飛び出していって、制御できなくなっちまう。最初から分かってたはずなのにさ、どんどん期待が膨らんでいくんだよ」
「お前も苦しいのか」
「忍のくせにね。感情なんて持ったせいで、本当、馬鹿だよな」
「ああ、馬鹿だな。俺もお前も、とびきりの大馬鹿者だ。せっかく馬鹿な男が二人きりおるのだ、今は好きなだけ感情を吐き出して構わぬぞ」
幸村の誘いに佐助は乗らなかった。涙など流してしまえば、それこそ二度と己は忍に戻れまい。忍に不要な感情を散々撒き散らしたのだから、もう十分だった。芸子が舞台へ上がるように、佐助もヒトであることを許された時は終わったのだ。一時の夢を見せてもらった。それだけで、心残りなどなかった。
迎えた翌朝は、が奥州を発った日のように、よく晴れていた。幸村、佐助、は、それぞれの思いを抱えて清々しい朝を迎えた。しかし一方で事の成り行きを一人知らぬ政宗は、広がる青空に顰め面だ。身支度を終え、さてどうしたものかと思案に耽るが、迷うのは性に合わない。他国の城であるにも関わらず、の部屋を目指した。
女中らの制止も聞かず、の部屋の襖を開ける。政宗に向けられた丸い瞳は、戸惑いが含まれているものの、昨日のそれとは違っていた。
「政宗さん、」
「さて、帰る前に昨日の続きといこうじゃねえか。俺にどんな隠し事をしてんだ?」
とっさには政宗から目を逸らそうと顔を背けたが、それを政宗は許さない。がっちりと顎をつかみ、無理矢理に視線を合わさせた。
「I've got it. もう逃がしやしねえよ」
それからしばらく目と目を合わせるだけの無言の応酬が続いたが、意を決したが、ぽつりぽつりと口を切った。
「政宗さん、私、迷ってました。上田に残ろうかって。ここにいる間、佐助さんに惹かれてしまっていたから」
の言葉に政宗はギリリと奥歯を噛み締めた。それは一晩、政宗の頭から離れなかった嫌な予感そのもので、今こうしての口から聞いてしまえば、より一層色濃くなった負の感情が膨らむ。
「でも、でもね、やっぱり、私は政宗さんが好きなんです。あなたじゃないと、駄目なんです」
体を、唇を、震わせながら紡がれた言葉に、政宗は目を見開いた。の口から、好きだと告げられたのは二度目だ。一度目は情事の最中に半ば無理矢理聞き出した。自身の意思で、それを口にするのは、これが初めてだった。
「もう、遅いですか?ふらふらと移り気な私なんて、もう、見限られてしまいましたか?」
縋るようなの視線に、政宗はふっと口元を緩める。今更何を言い出すのか。見限っているなら、昨日の時点で勝手にしろと一人この上田に残し、帰っていたはずだ。
「馬鹿言ってろ。アンタがどう足掻こうが誰とどんな関係を持とうが、アンタの相手は俺だって決まってんだよ。生まれる前からな。言っただろ?俺はが欲しいんだってな」
政宗が最後まで言い終えぬ内に、は瞳を滲ませ、そのままぐずぐずと泣き出してしまった。幸村からの進言により心の内は決まったものの、不安で仕方なかったのだ。助けられた恩を忘れて他の者へ目を向けている女など要らないと捨てられてしまうのでは、と。しかし政宗はいつもと変わらずに手を差し伸べた。
政宗は泣きやまぬを抱き寄せ、流れる涙を唇で掬い取る。ぽろぽろとこぼれ続ける涙には諦め、待ち望んでいた唇に己のそれを重ねた。優しく啄むように重ねられていたそれは、が政宗の腰に手を回してしまったことで途端に深く侵入を始める。半ば強引に唇を開かせ舌を絡ませ、舐め回すように口内を侵す。息も絶え絶えのに構うことなく、政宗の思うままにそれは続けられた。
これが己の領地であれば、迷うことなく行為に及んでいただろう。しかしここは他国の城だ。その事実が政宗の理性をどうにか取り戻し、名残惜しくもゆっくりと唇を離していった。
「まさか、あの猿とこんなことしちゃいねえよな?」
「してませんっ」
悪戯な笑みを浮かべながら投げられた問いに、は一層顔を紅潮させながら否定した。
ばくばくと脈打つ心臓がうるさい。今にも破裂してしまいそうだ。こうして唇を重ねれば、改めて気付かされる。政宗の存在の大きさに。逃げようもなく、抵抗する余裕もなく、いとも容易く捕らえられてしまう。すっぽりと、居場所がそこであると主張されているように、政宗の腕の中に納まってしまう。夢心地のような高揚感は、まぎれもなく、の中に棲み付いた感情の答えだった。
それから間もなく、と政宗は、幸村や佐助を始めとする面々に見送られていた。
殿を頼みますると政宗に頭を下げる幸村は、まるで娘を嫁に出す父親のようだ。一方佐助は、ちゃん泣かしたら俺様がその首もらうよと茶化す。それぞれ言葉も態度もまるで違うが、政宗を信頼しを託している。そして何より、の幸せを願って送り出している。そこには、一日前と同じ顔触れとは思えぬ程、穏やかな空気が流れていた。