急激に変化した佐助の態度に戸惑いを隠せずとも、飛び跳ねる心臓の感覚は正直だ。の知る佐助とは違うが、に微笑み、名を呼んでくれる。政宗を想いながらも、そうであったらと願ってしまったのは確かに自身の本音だが、それはあってはいけない幻想だった。
あれは佐助であって、佐助ではない。を愛してくれた佐助ではなく、幸村という主の客人をもてなす忍だ。そう言い聞かそうとしても、もう一人の自分が『そうじゃないでしょ』と促そうとする。

ここにいる佐助を意識から追い出そうと試みるたびに、祖母の言葉を思い出してしまう。元の世界で佐助に出会ったときは17歳で、そして今もまた何の悪戯か、17歳の体でここにいる。つまり、どの佐助に出会ったのも、祖母の言う『運命の相手』に巡り会う年齢だ。
その一致は、5年間温め続けてきた、佐助こその運命の人だ、という答えを呼び起こす。あの佐助とこの佐助は違うのに、運命という単語がどうしても結びつけようとしてしまう。

政宗は、どうしているだろうか。佐助への視線から気付いたであろうはずの彼は何も言わずにを送り出してくれた。余所見をするなと発した目には不安があったが、無理にを止まらせる真似はしなかった。だからこそは、変わらず政宗の元に帰ってやりたい。なんでもないよと安心させたい。
しかし悲しいかな、今確かにの心は揺れに揺れていて、己が想っているのが誰だか的が定まらない。ただ一人の政宗と、別人のようで分けては考えられぬ二人の佐助。それらがの頭の中でぐるぐると巡り、眩暈さえ起こしそうになる。

明日、政宗が迎えに来る。それまでにこの迷いを断ち切らねばならない。奥州を発つ際に固めた決意を確かなものにするためには、佐助についてはきれいさっぱりと見切りをつける必要があった。しかし人間の感情というのは実に厄介なもので、が『こうしなければ』と強く思えば思うほど、反して佐助の輪郭が際立っていく。

ちゃん」

襖の向こうから聞こえた声により、の意識が現実へと引き戻される。
朝方から幸村は外に出ていて、いつものように佐助がの元へ訪れたがは遠まわしにそれを断っていた。少し体調が悪いから横になりたいと適当な嘘を吐き、心配しながら城を出る幸村に罪悪感を覚えながらも、佐助との二人きりの時間を遠ざけられたことに安堵していた。
幸村が戻ったのだろうか。夕刻には帰ると聞いていた。それにはまだ早いが仮病もここまでにしておこう、と朝に打った芝居を解除して気丈に振る舞いは返事をする。

「具合どう?なんて、聞く必要もないか。だってちゃん、朝からどこも悪くなかったもんね?」

そっと襖を開けた佐助の困ったような微笑みと、射抜くような視線には言葉を失う。見抜かれていた。失礼するよと隣に腰を下ろした佐助は、思わず俯いてしまったを覗き込む。

「俺様と二人で居るのが嫌だったんだろ?もうすぐ迎えが来るから、か?鬱陶しい輩は遠ざけたかったってとこかな」

この佐助の、こんな声色を耳にするのは初めてだった。攻撃的ともとれるが少し違う。苛立と焦燥を含んだ、しかしそれを隠そうとする追及。はどうにか違うと声を出し首を横に振ってみたが、顔を上げることはできない。それにより、佐助の言葉を暗に肯定しているようだ。しかしそうではない。佐助と二人でいるのを避けたことは事実だが、鬱陶しいなどは微塵にも思っていない。

「なーんてな。ちゃんとお話できなくて寂しかったから、ちょっと意地悪したくなっちゃった。困らせてごめん」

からかうように笑いながらぽんぽんとの頭を撫でる佐助の手は、上田に訪れたあの日同じように触れられた手に違いないはずだが、それが持つ温度差には戸惑いを隠せなかった。熱すぎる。人間の体温にしては、あまりに熱すぎている。熱でもあるのかと勘ぐってしまいたくなる程だ。
もしかすると佐助こそ体調が優れないのではと不安が過り、様子を確かめようとは恐る恐る顔を上げた。そしてぶつかった視線に息を呑む。声と似つかわしくない表情でを見ている。悲しげで、切なげで、どことなく困ったような表情。

「やっと、見てくれた」
「どうして、」
「ん?」
「どうして、そんな顔してるんですか・・・」

の問いに佐助は答えない。相変わらず困ったような表情で、じっとを見つめている。
その顔は、のよく知る佐助を思い出させる。この世界へ来てから初めて佐助の夢を見た、あの佐助の悲しげな微笑み。普段の佐助はバイト先でも、と二人きりでも、明るく笑ってムードメーカー的な存在だった。だのに時折、眉を下げて遠くを見つめるような目で、ひどく寂しい言葉を口にする。

『運命の相手って、きっと生まれた瞬間から決まってるんだよ。悲しいけどね』

が運命の話をした際には、そうかと嬉しそうにそして少し照れながら聞いてくれたものなのに、しばらくして脈絡なく思い出したようにそう告げられた時は、胸が張り裂けそうになった。まるで『俺はお前の運命の人ではない』と言い切られているようで。

「そんな悲しそうに笑わないで」

思わず、そう発してしまった言葉は、一体誰に向けたものだろう。過去の佐助か、今目の前にいる佐助か、そのどちらも、か。

「いつもそう。私のことは何もかも見透かしてるのに、自分のことは教えてくれない。本心を隠してばかり」

思い出と今の葛藤がぶつかり合い、考える暇もなく次々と飛び出していく。あの佐助も、この佐助も、そうだ。の胸の内にはさらりと触れてくるのに、自分自身の本音を曝け出すことはしない。笑顔の裏に隠された正体を見せてほしかった。

「吐き出してしまったら、今以上にちゃんを困らせちゃうだけだ」
「それでも、いいんです」

絞り出した声は懇願にも似ていた。頼むから聞かせてくれと訴えるような声。は、滲む視界の先で揺れる佐助の目をじっと見つめた。

そして佐助も、今にも泣いてしまいそうなを見つめている。瞬きをしたら涙が溢れてしまいそうだ。それ以上は見ていられず、また本音をぶつけるには目を合わせていられず、微かに震えているを抱き寄せた。どくどくと脈打つ音は、自分のものかのものか、区別がつかぬ程に二人の距離は縮まっている。ぴたりと密着している。

「帰らないでって言ったら、残ってくれるの?」

幸村が政宗に許可を得た期間は十日。十日目には政宗がわざわざ迎えに来ると言う。そして、その期日は迫っていた。明後日の朝にははもういない。今後一切関わることがないとは言い切れぬが、奥州へ帰ってしまえばは政宗のものだ。佐助が手出しできるわけもない。
ならば、自ら上田に留まると政宗に告げてくれたら。政宗よりも自分を選んでくれたら。忍が聞いて呆れるような願望が佐助の中で渦巻く。自分は忍だ、感情は不要だと言い聞かせる己は、何故だかを前にすると姿を隠してしまう。まるで人間として生きることを許されたかのような錯覚に陥ってしまうのだ。その結果、自制も忘れてこうしてに触れてしまい、あろうことか絶対に見せてはいけぬ本音を吐きだしてしまった。

の返事はない。断る言葉を探しているのだろう。それもそうだ。政宗が好きかとの問いに対し、はにかみながら頷いた。が想っているのは政宗だ。
佐助に対して好意を持ってくれているとは感じていたが、政宗に向けられたそれとは違う。過去の男に重ねることで生まれる親近感。分かっていたのにどこかで期待をしていた。自分とよく似た過去の男と同じように、愛してくれる日が来るのでは、と。
そんな都合のいい話あるわけないよな。そう立ち去ろうとする自分と、いやまだだとその場を動こうとしない自分が戦っている。どこまでも諦めの悪い男だ。佐助は自嘲気味に口元を歪めた。そして、ゆっくりとを解放する。予想と違わずは当惑の表情を浮かべていた。

「やっぱり、困らせちゃったね。ごめん」

戸惑う瞳に映る佐助の表情はひどく滑稽だった。必死に浮かべた作り笑いは無残にも崩れている。感情を隠し表情を自在に操るのは忍の得意技でもあるというのに、今の自分はどうだ。その基本すらできていない。

「けど、本気なんだぜ?ちゃんを手放したくないんだよ。ずっとここに、俺の傍に居てほしい。無理は承知だ。武田と伊達の同盟の件もある。それでも、黙って見送れない馬鹿な俺様の本音が、これだよ」

今度は作り笑いとわかって、その表情を見せた。もう隠す気にもなれず、ありのままの己でぶつかるしかなかった。それほど、佐助は焦っていた。が奥州へ帰ってしまうことを、恐れていた。

「少し、考えさせてください」

しばらく流れた沈黙を破ったのは、の方だった。の言葉に佐助もハッとしてを見つめ、その視線を受け取ったは一人にしてほしいと一言告げ、わずかな、ほんのわずかな笑みを浮かべた。

佐助が去り、一人になったは大きく息を吐き出した。心臓が止まるかと思った。前触れもなく佐助に抱きしめられ、そして告げられたのは、ここにいてほしい、というの心を揺さぶるには度が過ぎた言葉だ。政宗と佐助、その二人の間で勝手に揺らいでいたはずの迷いは現実となってしまった。

何を言っているんだろう。本来であれば悩む間もなく、それはできない、と言わねばならぬはずだ。政宗に拾われ助けられ、一心に寵愛を受けてきたが、同盟国とはいえ他の領土に留まるなど、裏切りと揶揄されても否定できない。
しかし、佐助の腕に抱きしめられ、懇願に近い佐助の言葉はを突き動かした。それは、がずっと欲しかったものに違いなかったのだから。

高校を卒業したあと佐助が故郷へ帰る際、はどこかで期待していた。一緒に来ないかと言ってくれることを。祖母と二人で暮らしていたのは佐助ももちろん知っていた。だからこそ、祖母とを佐助の故郷へ迎え入れてくれるのではないか、などと、今考えれば自意識過剰も甚だしい期待を抱いていたのだ。
とずっと一緒に居たい、と言ってほしかった。いつか別れが訪れようとも、その瞬間だけは聞かせてほしかった。しかしの願いも虚しく、佐助はの元を離れた。その後連絡もとりあったがやはり徐々に疎遠になり、自然消滅という形で終わりを迎えた。
だからこそ、先程の佐助の声は、痛いくらいに響いた。あの頃とは状況も二人の関係性も何もかも違うというのに、まるでその時に戻ったような、あの日の佐助にそう言われたかのような、そんな錯覚に陥ってしまう。同じ顔、同じ声だから、だろうか。

には、わからなかった。かつての恋人と重ねてしまうから、こんなにも佐助の言葉に揺り動かされてしまうのか。それとも、ここにいる佐助自身に恋心が芽生えてしまっているのか。己のことながら、自身にも判断がつかなかった。