武田と伊達の同盟、それの締結に向けて幸村は自ら奥州を訪れることを志願した。信玄の役に立ちたい、そしてあわよくば政宗と手合わせを。そんな思いを抱えて迎えたその日、予想できるはずもない再会に驚きと歓喜が入り乱れ、幸村は興奮を抑えることができなかった。
「殿とこのような場所でまたもお会いできるとは、これも何かの縁でござろうか」
薄暗い部屋で一人ぽつりと呟く。
振り返ってみれば、随分と思い切ったことをしたものだと幸村は自分のことながらあきれもするが、後悔はしていない。
訪れた奥州にが居て、政宗の態度を見れば二人の関係は問うまでもなかった。にも関わらず、を上田へ招待したいと構わず願い出た。世話になった礼がしたい、その言葉に嘘はない。しかし、裏側に隠れた幸村の私情が、政宗との関係、自身の立場や状況、それらを顧みず、目の前の衝動へ突き動かした。
「俺は・・・、」
見知らぬ世界での十日間、偶然出会った一人の女との共同生活。たったの十日で、は幸村の心を奪ってしまった。
女にこれほど興味を持った経験はない。苦手な存在だった。可能な限り避けながら過ごしてきた。しかし、先の世で出会ったは、そんな幸村をきれいさっぱり壊してしまった。拒むのを忘れる程ごく自然に、幸村の中に入り込んでいた。
しかし、その感情の答えを幸村は知らない。ただ、今まで体験したことがないそれであるのは分かっていた。
元の世界に戻ってからも、一度たりとも忘れたことはない。槍を持ち戦場へ赴いても、好物の甘味をたらふく食しても、幸村の中にすっかり棲み付いたの居場所を埋めてくれる存在は、ここにはなかった。どうすることもできないと理解していながら諦められずにいた、そんなある日、目の前に現れた。この機を逃せばあとがない。幸村は直感的にそう悟り、無理を承知で願い出た。
幸村の提案に笑顔を見せてくれた、だからこそ政宗も反対することができず承諾をしたのだろう。政宗には申し訳ないことをしたという自覚はあるが、幸村としては今生の頼みだ。娶りたいなどとは言わない。もちろん、できるならばそうしたい。しかしはそれを望まない。だから、一時の我侭を許して欲しかった。
「物思いに耽っちゃって、旦那らしくないね」
暗闇から突如と聞こえた声。その主の仕事であった夜の護衛の任は解いていた。から、就寝時に異性がいるのはやはり気になる、それも顔を知る人なら尚更との申し出を受け、佐助ではない忍、くノ一の一人を夜の警護に充てていた。
「どうせちゃんのことでしょ。旦那さ、勢いで連れてくる度胸があるなら、もう一歩踏み出すくらい出来そうなものだけどね」
佐助の言わんとすることを幸村はよく理解できなかった。確かに自分は悩んでいる、だが何を悩んでいるのか、それが分からないのだ。
「佐助、俺はどうしたいのだろうか?」
「は?なに言ってんの?どうするもこうするも、一つしかないでしょうが。旦那は、ちゃんが欲しいんでしょ」
そうだ。が政宗とそういった仲であろうが、幸村に対する感情と幸村がへ向ける感情には大きな差があろうが、が欲しい。今だけと言わず、ずっと、一生そばに居てほしい。
しかし、やはり幸村には分からなかった。なぜ、そこまでを欲してしまうのか。
「お前の言うとおりだ。だが、この感情がどういった類の其れか俺には分からぬ。苦しいのだ」
佐助はどう答えてやるべきか決めかねて頭を掻いた。己の主は、自分自身が恋をしていることにすら気付いていない。女や恋などとは無縁、いや、幸村自身が避けて来た道だ。だからこそ、それと直面している今、起こされた感情の名前を知らずにいる。
「旦那はさ、ちゃんが好きなんだよ」
どう導いても幸村自身でその答えに辿り着くのは無理だと佐助は判断した。ならば早急に気付かせるべきだ。そうすれば、きっと動くことができるはずだ、と。
「好き、とは、その、男女の、そういった感情の、好き、だろうか」
「当たり前でしょ。これはさ、旦那の初恋なんだよ。それが分かった今、旦那はどうするの?」
問いながら、佐助は自分が焦っていることに気付いた。急かすように答えを求めたところで、恋愛経験のない幸村に適当な案が浮かぶわけもあるまいに。まるで、まるで、気付いたところで結果は見えていることを教えているようだ。
違う、そうではない。主の幸せを願っての行動だ。やましいことなど一つもない。そう言い聞かせようとすればするほど、どろどろとした感情の塊が引っかかって言葉が続かない。
「そうか、俺は恋をしているのか。しかし皮肉なものだな。それと気付いたところで、俺にはどうすることもできぬ。殿は既に政宗殿のものではないか。俺に何ができる?何も、できぬ」
まるで独り言のような幸村の物言いに、佐助は己を恥じた。政宗に嫉妬し、次は主に諦めるよう促そうとしていた。違うと言いながらも、実際は身勝手もいいところの、単なる独占欲だった。
「旦那は、それでいいの?好きなんだろ?そんな簡単に引き下がれる程度の想いだったわけ?」
「違うな。ただ欲しいからと無理に奪ったところで殿を悲しませるだけだ。ならば、俺は潔く身を引こう。それが、俺の想いだ」
打って変わって力強い声色に、佐助は思わず息を呑んだ。なんて、真っ直ぐで、汚れの知らない男なのだろう、と。生真面目で純粋で無鉄砲であることは誰よりも佐助が知っていた。しかしそれは、戦や生き様に対してであって、女に関しては貪欲な獣に化けるだろうと思い込んでいた。
完敗だ。忍であることを理由に逃げて、醜い感情から目を背けて、そのくせ、あっという間に肥えた欲は己の主すらも遠ざけようとした。
「あくまで、俺の話だ。佐助、お前はお前の思うように生きればいい」
いつの間にか幸村の真っ直ぐな視線は佐助に向けられていた。恋など知らなかったはずの男が、全てを見透かしている。
「旦那、どうして、」
「己の感情が恋だと気付けば、あとは簡単だ。お前も同じ目で殿を見ているからな。感情を隠すのは敵わぬが、殿についてはまた別だ。佐助がどう隠そうが、俺には見えたぞ。俺は、いつも殿を見ている。寂しがっていないか、不安はないか、と。だからこそ、周囲が殿をどう見ているかも必死に目を凝らしていた」
茶化すように幸村が笑えば、佐助も肩の力が抜ける。恋をしていることすら気付かなかった男が、忍の胸の内を読み取ってしまうとは。情けなさと幸村のへの想いを改めて知らされ溜め息を吐く。
「気に病むことはない。政宗殿に念を押された手前、表立って味方はできぬが、後悔せぬようにな。ただ一つだけ、殿を悲しませるような真似だけはしてくれるな」
佐助は再び溜め息を吐いた。しかし先程のそれとは色の違う、諦めを含んだものだ。
「旦那には敵わないね。俺もさ、よく分からなかったんだよね。あんな、どこにでもいそうな子をどうして気になっちゃうのかって。それに俺様忍だし?恋する忍なんて聞いたことないって言い聞かせてきたけど、ちょっと足掻いてみてもいいのかな?」
佐助の問いに幸村は答えなかった。頷くこともなかった。しかし、真っ直ぐ佐助を見据えて微かに笑みを浮かべる。佐助もそれに続いて似たような表情を返した。
それからというもの、足枷を外した佐助はの元を訪れた。幸村との時間は邪魔をせぬようにと気遣いながら、が一人になれば己の存在を主張するように、何度も顔を出す。これまでと異なり裏のない表情にも気付き、笑顔で出迎える。
「佐助さん、最近なんだかおかしいですよ。人が変わったみたい。いいことありました?」
「うーん、そうだね。ちゃんに会えたことかな」
「からかってるんですか。幸村に言いつけちゃいますよ」
プイと背けた横顔を見つめて思わず笑みが零れる。認めてしまえば簡単なもので、あれだけ押し殺そうとしていた感情はあっけなく手の平に収まっていた。佐助はが好きだ。
「なんですか?何かついてます?」
「こんなに可愛い子を前にして見るなって言う方が酷な話だよ。俺様が勝手に見てるだけだから、気にしないで」
佐助がへの気持ちを自覚し、そして認めてから、そんなやり取りばかりを繰り返していた。佐助が褒めればは困ったように俯き頬を染める。からかうなと咎めるような視線を向けられるが、冗談ではなく本気で言っている。
「こら佐助、殿が困っておるだろう。女子にそのような軽口ばかり叩くのは、やめられよ」
佐助の好きにしろと言ったものの、どうしても妬いてしまう。幸村が仲裁に入ればは隠れるように幸村の背後へと移動する。それに気を良くした幸村が勝ち誇ったように佐助を見て、困ったなと言いながらも佐助の表情はまるで困っていない。
「ねえ、幸村。本当に佐助さんどうしちゃったの?昇給でもさせた?ここのところずっとだから、なんだか気味が悪くて」
「気味悪いって、さすがにそれは俺様も傷付くかも」
「自業自得だ佐助。反省しているなら、殿と某の分、団子を買って参れ」
真剣そのものといった目つきで幸村はそう指示をしたが、聞いていたは吹き出す。何それと可笑しそうに目尻に涙を浮かべながら口元を押さえている。佐助は呆れながらも、はいはいと軽い返事であしらう。
「な、何がおかしいのでござりますか?某は、佐助に罰をと」
「ううん、幸村らしくっていいと思うよ」
相変わらず笑いが止まらぬ様子に幸村も頭を掻くが、を見ていると自然と笑みが宿る。この限られた時間ではあるが、そこにがいて、笑っていてくれる。それを幸福と呼べぬわけがない。欲しがるだけが恋ではないのだと確信を持つ。手には入らぬと知りながらも、幸村は不思議と悲しくも切なくも寂しくも、なかった。