第1話:ふたりは出逢った

 「春はまだかな」
 「クク、相変わらずめでたい頭してやがる。んなモン、待ってるから来ねェんだろ」

 思わず体を起こして声の主に目をやった。いつもと変わらぬ表情で煙草を吹かしていたその人が、ごくごく僅かに笑む。春は、まだか。



 あの日、冷たい風から身を守ることもせず、私はいつものように屋上で寝そべり、いつものように空を見上げていた。いつものように、ひとりぼっちで。

 親の転勤とともにアメリカへ渡って3年近くの時が過ぎ、いつまでたっても異国の地に馴染めずにいた私は、無理を承知で帰国を願い出た。せめて日本に戻れば、もっとうまくやれると思っていたのだ。

 両親を説得し、叔父とその友人の協力もあり、どうにかこうにか日本へ戻ってきたものの、またも新しい環境に溶け込むことができなかった。

 ここ、銀魂高校の2年A組へ転入してきたのが1月のはじめ。それからひと月余り経っても、これといった友人はいない。誰々が付き合ってるだの、誰々が停学から戻ってきただの、まるで興味を持てない会話の応酬に、とけ込めなかった。

 選んだエスケープの手段はひどく単純で、昼休みは屋上でひとり過ごす。持参したお弁当を早々と食べ終え、予鈴が鳴るまでたっぷりと昼寝をとり、授業開始直前に教室へと戻る。転入当初は帰国子女ともてはやしていたクラスメイトも、いつしかそんな私の行動を遠巻きに見るようになっていた。

 暦の上では春だがまだ2月。当然、吹く風は冷たい。それでも眠気というのは訪れてくれるもので、次第に重くなる瞼を素直に受け入れ、眠りに落ちていく。そして錆びかけた鉄の扉が開く音にも気づかぬほど、すっかり寝入ってしまっていた。



 停学から戻り数日、いつもたむろしているプレハブ小屋へは寄らず、屋上に向かった。閉め切られた室内で吸う煙草より、開け放された屋外で吸うそれは気分がいいモンだ。どんな風が吹こうと知ったこっちゃねェ。くつろげりゃそれでいい。しかし扉の向こうに人影を見つけた瞬間、短く舌を打った。
 どこの誰か知らねェが、この顔を見れば一目散に逃げ出すだろう。脅し退かせてやろうと歩み寄る。

 「…オイ」

 呑気な寝顔のそいつはぴくりとも反応しない。すやすやと腹立たしいほどの安らかな寝息を立て、眠りこけている。何度声をかけてもやはり反応はひとつもない。時間の無駄だと諦め、少し離れた場所でフェンスに背を預け、腰を下ろした。

 胸ポケットに手を突っ込み煙草を一本取り出し口に咥える。風を避けつつ火を点け、吸い込んだ。やはり煙草はここで吸うに限る。そんな久しい感覚に油をさすのは当然、相変わらず眠りこけている女だ。こんな寒空の下で昼寝なんざ、趣味が悪ィ。しかも荒らされているのは俺の縄張りだ。何もかもが気に食わねー。

 苛立ちは増していく。あまりのムカつきにここを去ろうと腰を上げかけるのだが、負けたようでそれもまた腹が立つ。こうなりゃ我慢比べだ、と短くなった煙草をもみ消し次へと手を伸ばした。咥えた煙草を指で挟み息を吐き出す。煙は上りそれを目で追うと空に混じって消えた。

 それを幾度か繰り返し、どんだけ馬鹿らしい真似をしてんだと思い直す。普段ならばこうもむきになることなどない。感情で動く真似なんざしねェ。冷静さを欠いた自身の行動に呆れ、ようやく腰を上げた。

 しかし翌日もそのまた翌日も同時刻、屋上へと向かった。扉を開けると、毎日変わらず同じ絵がそこにはある。目が覚め青ざめる姿を想像し、起床を待つ間に煙草を吸い散らかすも、認めたくはないが連日負け越していた。

 あァ、そろそろ我慢の限界だ。女だろうと関係ねェ。

 「オイ、いつまで寝てるつもりだ」

 その日は柄にもなく声を荒げた。ようやく気付いたらしいそいつは薄目でこちらを見上げる。さっさと逃げ出せ。俺が誰だか分かんだろ。それを口にはせず、鋭い視線を浴びせた。

 「…ん?もしかして、煙草の人?」

 一目散に逃げ出すだろうと踏んでいたが、こいつは余程の馬鹿らしい。俺を見上げたまま明らかに寝起きの間抜けなツラを向け、そしてむくりと体を起こし、緩慢な動作で伸びをする。

 「どうやら痛い目見てェらしいな…」
 「随分と物騒な訪問者ですね。何か用でも?」

 まだ覚醒しきっていないらしい。間延びした声で尋ねてきやがる。

 「用なんざねェよ、さっさと失せろ」
 「煙草吸いにきたんですよね?どうぞ、先生に告げ口なんてしないので」

 この反応にはさすがに面食らった。まさか俺を知らねーワケはあるまい。
 何より、この態度。やる気がなさそうに、欠伸をしながら。
 
 「こんな所で堂々と喫煙する根性のある人なんでしょ?ほら、吸いなよ」
 
 よっぽどの恐れ知らずか、ただの馬鹿か。思わず言葉を失って唖然とした。この俺が。

 「名前は?何年生ですか?…あ、2年か。同い年」

 踵を潰した上履きを見やり頷きながら、その女は言った。待て、いや待て。名前だと?俺に聞くのか、それを。

 「私は。どうぞよろしく。あなたは?」
 「…高杉」
 「うん。高杉くん」
 「高杉、晋助」
 「高杉晋助くん」

 百歩譲って顔を知らなかったとしても名前ぐれェは知ってんだろ、どんな馬鹿でも。二度目はわざわざフルネームで、一音一音わざと区切って言ってやったってェのに。この馬鹿女は、それすらも見事に回避した。しかも笑っていやがる。
 この校内に、俺を知らねー奴がいるとは、まさか思いもしなかった。なんだこの微妙な敗北感は。

 それが、この女、との出会いだった。