電車に揺られながら移りゆく景色を眺める。東京駅で買った弁当は既に食べ終えてしまっていて、ペットボトルに残った緑茶も、あと2口程度で空になるだろう。

は溜まりに溜まった有給休暇をフル活用し、祖母の故郷へ向かっていた。
幼い頃に両親を亡くしたを育ててくれた祖父母も今はいない。寂しさを紛らわすように仕事に打ち込んできたが、思いがけぬ出会いをきっかけに自分自身を見つめ直すことになる。
十日ばかりの同居人。今思えば、いや出会った瞬間から世にも不思議な物語の幕開けだった。

5歳ほど年の離れた幼くも逞しいその人は手品のように現れて、泡のように消えてしまった。また一人になってしまったと落ち込みもしたが、彼が与えてくれたのは、人生の希望だった。
自分自身で閉ざしていた世界を開くため旅に出よう、そう決意して有給休暇の消化を願い出たものの、急な願い出ということもありなかなか叶わず、承諾を得られたのは申請から2か月も後のことだ。そうして、今、念願の旅に出ている。

「さすがに東北の冬は寒いね」

祖母の形見のリング、今はチェーンをかけネックレスにしているそれを握りながら話しかけるようには呟く。
新幹線を降りれば、乗車時よりも更に冷えた空気が迎えてくれた。バッグからマフラーを取り出し慌てて巻きつけバス乗り場を目指す。
初めて訪れる祖母の故郷はテレビや雑誌で見ていたよりもずっと活気があり、不思議と懐かしさを覚える。まるで自分自身の故郷のようだと、思わずははにかんだ。

旅行雑誌を片手にバスに乗る。平日ということもあり観光客は多くはないが、それはそれで得をした気分だった。
30分ほどバスに揺られ降りれば、手元の雑誌に堂々と掲載されている城が見える。幼い頃から祖父母に聞かされていたそこは、二人の出会いの地だと言う。自身も新しい出会いを期待せずにはいられず、ついつい綻ぶ表情をエンジンに敷地内へと進んだ。

「思ってたより広いなぁ。どこから見て回ろう?」

もらってきたパンフレットと案内板を見比べながらは迷う。観光スポットは事前にチェックしてきていたが、詳細まではスケジューリングしておらず、ほぼ行き当たりばったりの一人旅であった。
当てもなくうろうろするのも馬鹿らしいとベンチに腰掛けパンフレットを眺める。まずは資料館だろうか、とパンフレットのそれを指差したところで風が吹いた。突風ともとれるその風に思わず目を閉じ首元のマフラーと足元のキャリーケースを押さえる。バサバサと音を立てパンフレットが飛んでしまったのを悟った。

「あーあ。またもらって来ないと・・・え、これ、なに」

風がおさまり目を開いたが、広がる景色の違和感には呆然とする。先程まで見えていた物は何もない。目の前に広がっているのは、畑と田んぼ。振り返れば石段や木々、足元はまるで舗装のされていない土の道だ。
自分の置かれている状況がまるで理解できず、立ち尽くすのみ。奥に人が見えるが、着物とも浴衣とも言い難い薄汚れた和装に身を包み、原始的な手段で田畑を耕している。おかしいのは自分だと指摘されているような、そんな光景だった。

夢でも見ているのか、ここは一体どこなのか、考えれば考えるほど疑問は膨らむばかりで答えは一つも出てこない。冷静さを取り戻すにつれ、置かれている状況が恐ろしくなる。
ここに自分はあまりにも異質だ。きっと住む世界が違う。見つかれば命の危険も避けられないかもしれない。
震える足をどうにか動かし、人気のない場所へ移ろうと試みる。出来るだけ音を立てぬようキャリーケースを持ち上げ、背後の林へと逃れた。
林の奥まで来たのだろうか。泣きたい気持ちを抑えながら、人のいない休める場所を探す。キャリーケースの重みを恨めしく思う余裕もなく、ただ只管に奥へと進む。
その先に川を見つけると途端に喉の渇きが顕著になる。ペットボトルは空だった。恐る恐る流れる水を掬い口に含めば。

「美味しい。天然のミネラルウォーターだね」

喉の渇きは癒したものの、不安は拭えない。夢なら早く覚めてくれと念じながらも、これが夢ではないことには薄々気付いていた。数か月前の出来事を思い出す。彼と同じことが自分の身にも起きたのだ、と。
できれば外れてほしい予感に頭を抱えながら、ペットボトルに水を汲む。ぶるりと震えた肩で気温が下がっていることに気付き首元のマフラーを巻き直した。

「あれ・・・?」

そこにはないものがある。髪だ。高校時代に、伸ばしていた髪をばっさり切った。それ以来、5年間ずっとショートボブを保ち続けていた。色を変えたりパーマをあてたりはしたが、伸ばすことはなかった、その髪が、どうして、今。
掛けていたショルダーバッグから手鏡を取り出し覗き込めば、更に信じがたい姿が映る。それは、22歳のではなかった。少し短めに揃えた前髪と、カラーしたてのダークブラウンの毛色、そして何より背中まで伸びた髪。それは、高校2年生のそのものだった。おまけに顔つきまで幼い。まるっきり17歳のそれだ。
やはりおかしい。これは夢だ、夢なんだ。鏡を何度覗いても変わらぬ姿に、そう呟く。諦めたように鏡をしまうと、様々な感情の塊のような溜め息が漏れる。

「あんた、ここで何してるのかね?」

ぼんやりしていた所為か背後の気配に気付かなかった。振り返れば、やはり薄汚れた和服の老婆が立っていて、逃げなければと察しながらも体は動かない。

「見慣れない顔だねぇ。着物も見たことないが、どこかの姫様、でもないようだね。まあ、そう怯えなさんな。悪いことはしないよ、よかったら家へおいで」

差し出された手をとるにはひどく躊躇ったが、老婆の仕草や声色が祖母を思い出させて涙ながらに従った。ぼろぼろと零れる涙を皺だらけの手が優しく拭うと、溜め込んでいた不安が一気に溢れ出す。

「遠くから来たんだね。それで迷子になったんだ。違うかい?」

うんうんと声にはならずどうにか頷くと、そうかそうかと優しい声が返ってくる。その手に引かれ、川を離れても溢れる涙は止まらなかった。年齢のことは自分でも説明がつかずそこだけ避けながら事情を話すと、一つ一つに相槌を返してくれる。不思議なこともあるものだね、と微笑む様子には疑いなど微塵もなかった。

それからしばらく歩き、映画のセットのような昔風の小屋に辿り着く。おばあさんの話によると、夫婦二人で暮らしているそうだ。家へ招き入れられ荷物をおろすと、どっと疲れが出た。家の隅にキャリーケースを置かせてもらい、そこに寄り掛かるように座り込んだ。
日が沈み始めると、おばあさんと同じか少し年上だろうか、男性が帰宅する。おばあさんが事情を説明すると、疑う様子もなく、そうかそうかと頷きながらの頭を撫でた。

「怖かっただろう。でも心配いらないよ。贅沢はできないが、ここにいればいい。帰れるようになったら、そのとき帰ればいいよ」

老夫婦は揃って優しく、やはり祖父母を思い出す。まるで子のように、孫のように可愛がってくれる二人は、懐かしい思い出を呼び起こし、あれほど不安に満ちていたもあっという間に打ち解けていた。

おばあさんのお古だという着物に照れくさいながらも身を包み、慣れないながらに手助けをする。若返ったことが幸いしてか体力も十分だ。次第に他の村民にも会う機会が増え、気付けばは村人の一員として慣れ親しんでいた。電気もガスも水道もない不自由な暮らしではあったが、は退屈だとも窮屈だとも思わなかった。

3か月程だろうか。すっかりそこでの生活を満喫していたであったが、水汲みから戻ると何やら騒がしい。焦げた匂いが鼻を刺激し思わず口元を押さえた。

ちゃん、ここにいてはいけない!逃げなさい!」

家の向こう側から出てきたおばあさんは、血相を変えながらも音量を落としつつに逃げろと訴える。何が起きたのと問う暇も与えられない。事情を把握できなくともその様子から、自身に迫る危険を悟った。

「いいかいちゃん、川を上れば山道に出る。そこをずっと下れば城下町に着くから、そこまで逃げなさい。わかったね」
「おばあさんは?一緒に、逃げよう」
「戦に負けたお侍さんが村を襲ってるんだ。お前がつかまれば殺されるだけじゃ済まない。きっと辛い目に遭う。そんなのは、わたしもじいさんも、村のみんなもがまんできないよ。みんな、お前を逃がすためにわたしをここまで行かせてくれたんだよ。だから、だからどうか、逃げておくれ」

さあさあと背中を押されながら懇願されて、訳もわからず泣きながら走る。どうか逃げてくれと背後から聞こえた声は徐々に遠ざかり、なのに鼻を刺激する焦げ臭さは衰えない。村が焼かれているんだ。敗走兵が、村を、襲っている。
その事実がとてつもなく恐ろしく、恐怖に足が震えながらも指示された方向へと走る。春先とはいえ北は寒い。いまだ残る雪の跡、そしてかじかむ両手両足が行く手を阻む。随分と逃げたはずなのに、あの臭いが離れない。敗走兵が迫っているのかもしれない。そう思うと更に足は震え呼吸も次第に荒くなる。

林の奥に道が見え、おばあさんの言っていた山道に出れるのだと僅かな安堵が訪れる。油断をしたのか草履が脱げ、雪の残る土には倒れてしまう。

「う、う、逃げなきゃ、でも、足が、足が、おばあさん、おじいさん、」

泣いている暇はない。自分が捕まればせっかく逃がしてくれたみんなの努力が、想いが無駄になる。立ち上がらなきゃ。そう言い聞かせ足に力を入れるも言うことを聞かない。転んだ拍子に挫いたのかもしれない。おまけにゆっくりと日が傾き始め、それと共に気温も下がっていく。足の痛みと寒さで体が動かず、逃げなければと思いながらも、の瞼は徐々に閉ざされていった。



「Huh?どうも焦げ臭ぇな。山火事にしちゃ火の手が見えねえ。まさか・・・様子を見に行ってみるか」

遠駆けの帰りに違和感を覚えた政宗は、山道を戻った。林の奥に小さな村があったはずだと記憶を確かめながら、林に踏み入る。すると焼けた匂いが更に増し、予感が外れていなかったのだと確信を持ち更に奥へと進んだ。
速度を上げようかと手綱を握り直そうとした寸前、林の中に倒れる人影が目に入る。近付いてみたが、起き上がる様子はない。

「オイ、どうした?村の人間か?何があった?」

声をかけても揺さぶっても反応がない。しかし死んでいるわけではなさそうだ。顔を覗いてみると、血の気のない表情で苦痛に歪めたまま目を閉じた、政宗よりも幾らか幼い娘だった。
今にも息絶えそうな、その横顔が、政宗の心を掴んで離さない。考える間もなく抱き上げると馬に跨り、城へと急ぐ。

「村も気になるが、まずはコイツの手当が先だ」

なぜ、そこまでこの娘が気になるのかは、政宗自身も理解できなかった。いや、そんなことを考えるよりも、一刻も早く助けてやりたいという思いが強く政宗を動かしていた。