お菓子と娘

団子屋でアルバイトを始めたのはいつの頃だったか、自分のことだというのに記憶が曖昧だ。
一人この町に降りたってから足下の見えない日々を過ごしていたけど、警察組織の面々やアイツの旧友に助けられ、どうにか生きながらえている。
助けてもらえる立場ではないのに。
テロリストの仲間だ、と斬り捨てられても何らおかしくはないのに。

そんなことを今日もぼんやりと思い浮かべながら、団子屋をあとにした。





店長が土産にくれたみたらしを頬張り、もう片方の手ではきなこのまぶした団子を遊ばせる。
その足でいつもの場所へ向かい日課を果たすつもりだったが急に気が変わり、くるりと方向転換をした。
すると、先ほど出てきた店の前で、不機嫌そうに煙草をふかす公務員の姿が目に入る。
チンピラ警察と呼ばれているその公務員は、なんでもない顔をして煙を吐き出しているがちょろちょろと目を泳がせながら捜し物をしている。
捜し物の正体は、攘夷浪士でもなく、灰皿でもライターでもなく、この私だ。
通り過ぎる市民が送る、時に怯えたような、時にうっとりとしたような、正に千差万別の視線を受けながら、その人は私を捜しているのだ。

声をかけようか、やめておこうか、立ち止まり様子を窺っていたところ、不意にこちらを向いたその人と目が合う。
呆れた表情の中に見える僅かな安堵。
そんな顔しないで。
どうせなら、私が見落とせるように、お得意のポーカーフェイスを突き通してほしい。

「ンな所で何してんだ。覗き見とは趣味が悪ィな」
「十四郎こそ、こんなところでサボリ?総悟に言いつけるよ」
「見廻り後の一服くらいどうってことねェだろ」

そうだ。仕事終わりの一服なら誰も咎めはしないだろうが、今の彼は違う。
真相は定かではないが仕事そっちのけで、こんなろくでもない女を捜しているのだから。

「うちの団子にマヨネーズなんかかけないでよ。お客さんが減っちゃう」
「ンだとコラ。マヨネーズを侮辱するたァいい度胸だ」
「私が侮辱してるのはマヨネーズじゃなくて、あなたの味覚。さ、さ、早く仕事にお戻りよ」
「今し方終わったところだ。小腹が空いたんで団子を、な」

分が悪いとき特有の仕草、迷惑そうに目をそらしながら後頭部に手を持っていく。
それでなくても、わざわざ遠回りしてこの店に寄るなんて、よほどの物好きだ。
自慢じゃないけど、うちの団子はとびきり美味しいわけじゃない。
どこにでもある、至ってふつうの団子屋だというのにこの人は、顔の割に嘘が下手だ。

「あ?なんだその顔は」
「素直じゃないねえ。私に会いに来たくせに」
「馬鹿かてめぇは。ンな暇人じゃねェよ。自惚れんのも大概にしろ」
「はいはい。そういうことにしておこうか」
「オイ、、分かってねェだろ、オイ、聞いてんのか」

悪いけど自惚れるほど自分を過大評価していない。
いくら隠しているとは言え昔馴染みの思いつくことなんて明日の天気を予想するよりよっぽど簡単だ。

アイツと比べれば尚更。

何を考えているかまるで見えない表情に、読めない声色、それに加えて本気か冗談かどちらとも取れぬ発言をしてくれるから困ったものだ。
だけど、側にいるとなぜだかほっとした。
私の、私だけの居場所を与えられているかのような、そんな気がしていたから。
いつの間にか、自分でも恐ろしいと感じるほど、アイツなしには生きられなくなっていた。
そしてそれを見計らったようなタイミングで、私一人を残して行ってしまうのだからとんだ性悪だ。

「オイ、てめェ人の話聞いてンのか?」
「えっ、あ、なに?ごめん、聞いてなかった」
「ハッキリ言いやがる。いい度胸じゃねェか」
「おまわりさん、瞳孔開いてますよ。抑えて抑えて。こんなところで人情沙汰起こして、明日の一面飾りたいわけ?」
「相変わらず口の減らない女だ」
「よくご存じで」
「あァ、イヤってほどにな」

そうだ、私だけじゃない。この人もまた、私のことを知りすぎている。
しかしそれはアイツも同じだった。
こちらは何も知らないというのにアイツは、気味が悪いほど見透かしていた。
離れるときはいつだって我慢しようと決意を固める私に「寂しいって顔してんじゃねェ」と髪を撫でながら笑う。
笑うと言っても、声を上げて笑ったり、満面のほほえみを見せたり、そんな清々しいものではなくて、アイツ特有の見ようによっては薄気味悪い微笑。
そんな笑みでも私にとっては至極特別で、涙をこぼさぬように口をキュッと結んで頷き、着物の裾を掴んでいた。
視線を落とせば頭に手を置き「俺が戻るまでおとなしくしてろや」と甘くも優しくもない台詞を吐き捨て、苦しいくらいの長いキスを残していく。
それがまた、アイツから離れられなくなる一因でもあった。

「オイ、ぼさっとすんな。っとに、フラフラと猫みてェな奴だな」
「あらおまわりさん、テロリストと同じ発想ですよ」
「はあ?」
「アイツがね、よく言ってた。俺ァ猫を飼ってんだ、って。危なっかしくて気紛れで、猫みたいな女だからってさ」

自分が追っている人間と同列に並べられたことが気に食わなかったのか、元々不機嫌だった顔がさらに険しくなり、返事をすることもなく、煙草をふかす。
何も無視しなくたっていいじゃない。
こちらの投げた話題が悪かったとは言え、相手の反応に苛立ちを覚えて私も言葉を切った。
それからどちらも口を開くことはなく、重たい沈黙が流れる。

商店街は今日も賑やかで、行き交う人は皆楽しげな声を上げているというのに、この一角だけが妙に重苦しい空気に包まれていて、擦れ違う人も徐々に遠ざかっていく。
そもそも歩き煙草をしている時点で自然と誰もが離れていく世の中なのに、こんな無愛想で、おまけに瞳孔が開いているチンピラ警察なら尚更もいいところだ。
子犬を散歩させている小さな女の子も「おまわりさん怖いよー」と母親に泣きついているくらいで、それを聞いた母親が慌てて女の子の口を手で塞ぐ。

「よしよし、ごめんね。あのおじちゃん怖いよね。でも大丈夫だからね、泣かないの。ほら、お団子あげるから」
「・・・くれるの?」
「怖がらせちゃったお詫びだよ。おねえちゃん、あの角のお店にいつもいるから、この怖いおじちゃんがいないときに遊びにおいで」
「うんっ!ありがとう!またねー!」

きなこの団子を女の子に渡しながら小さな頭を撫でた。
女の子の母親が何度も頭を下げながら、その小さな手を引き遠ざかる。
泣きやんでよかった、とほっとしたのも束の間、右斜め上から強烈な視線を感じて恐る恐る見上げてみると、案の定、鬼すらも逃げ出しそうな顔の男が居る。

「誰がおじちゃんだ、コラ」
「ああいう小さい子は些細なことでもトラウマになるんだよ。仮にも警察の人間が、そんな顔して町歩くんじゃないの」
「今日はやけに突っかかってくるな。さっきもそうだ、コソコソ隠れていやがって」
「自意識過剰だねえ。たまたま振り返ったら十四郎がいただけ。自分こそ自惚れちゃって。これだから顔のいい男は困るよ。あーあ、イライラしたらお腹空いてきた。夕食は十四郎のおごりね。私の払った税金で食事代を支払ってくださいませ」
「てめェはどこまでも可愛くねェ女だな」
「ええ、結構。十四郎に可愛いなんて言われても気持ち悪いだけだから」
「だったら、誰ならいいんだよ」

不意にトーンが変わり、呆れたようだった表情はいつの間にか真剣そのもの、といった目つきで、それでいて、探るような、どこか苛立ったような、そんな視線に息が詰まる。
自分が投げた問いに対する答えは私が言わずとも承知の上だろうに、それを分かっていながら敢えて寄越しているのだ。
だからこそ、どんな返答をするべきか、私にはそれが見つけられず、かと言って、いつものように見当違いな発言で誤魔化す気にもなれない。
このまま黙秘を保てば、気まずさに耐え切れなくなり向こうから沈黙を破るだろうけど、それを待つのは卑怯が過ぎる。
けれど、この場に似合う答えは見つからないし、上手く切り抜ける術も持ち合わせていない。
ぐるぐると頭を悩ませてみたけど結局、この口を開くことはできなかった。

「おい」

予想が当たってしまったことで、私は卑怯者の仲間入りだ。
いや、いつだって、ずっと昔から、ずるくて弱い、卑怯の中の卑怯な私だ。
何を躊躇う必要がある。ここまで来たなら、卑怯の道を歩き続けたらいい。
人の弱みにつけこんで、同情を買って、安全な場所で生きていけばいい。
きっと、アイツもそれを望んで私を残したのだ、と思い込むことで自分を抑えてきたのだから。

「なあに?」

何事もなかったような、何も感じていないような、そんな笑顔で横を向く。
罪悪感を必死に押し殺しながら、その表情を保つことに専念しようと努めた。

「お前はいつの間に、んなずる賢い女に成り下がったんだ。総悟が泣くぜ。アイツがお前を本当の家族みてェに思ってんの、知ってんだろ。俺や近藤さんより、お前が大切なんだよ。そんなアイツが、その顔見たらどう思うだろうな?」
「総悟の名前を出せば私が素直になるとでも?ずるいのは、どっちだろうね」
「あァ、お互い様だな。だが、これだけは言えるぜ。より変わったのは、、お前の方だってな」

呆れたというより悲しげな、そして同情にも似た憂いを帯びた目がこの身を捕らえる。
その目が脳の中心から全身までを、すっかりと支配してしまったような、そんな感覚に陥り、思わずごくりと唾を飲み込んだ。
自身を卑怯者だと納得させることでこの江戸というステージでどうにか生きてきたというのに、こんな簡単な、子供騙しもいいところの小言に圧倒されようとしている。

「お前は奴を待っていると言いながら、実際は逃げてるだけじゃねェのか?自分を悪人に仕立て上げて、今いる現実から逃れようとしてるようにしか俺には見えねェがな」

これだから昔馴染みは面倒だ。せっかく守ってきた檻をあっさりと壊し、手招きをするような口調で連れ出そうとする。

「ンな面倒なことに頭悩ませなくても、お前はお前だろうが。何を臆する必要があるってんだ?素直に受け入れときゃいいんだよ。そうすりゃ、見えなかったモンも見えてくるかもしれねェだろ」

彼の言葉の皆まで理解することはできなかったけれど、伝えようとしていることはわかった。
不意に涙が溢れそうになったけどどうにか堪えて、ゆっくりと、小さく頷く。
だけど頷いた反動で抑え込んだ涙がぽろりと一粒零れてしまう。
その小さな雫を隣の男が見落とすわけもなく、煙交じりの溜め息をつき、煙草の匂いが染み付いた掌で私の頭を撫でた。

「悪かった。頼むから、泣くな。お前を泣かせたなんて総悟に知られたら俺ァ斬り殺されるだろうよ」
「お墓にはマヨネーズ供えてあげるから安心してお逝きよ」
「馬鹿、勝手に殺してんじゃねェ。ンな顔のお前残して、死ねるわけねェだろうが」

「・・・十四郎、ありがとね」
「ンだよ、気持ち悪ィ」
「わざわざ迎えに来てくれて、ご指導ご鞭撻を賜り誠にありがとうございます」
「ったく・・・。で、何が食いたいんだ?」
「マヨ丼以外の何か」

さっきまで頭を撫でていたその手に今度はぺちりと叩かれる。
その掌が先程よりも熱を持っていることに気付き一瞬不思議に思ったが、その答えはすぐに見つかる。

「やっぱり迎えに来たんだね、私のこと」
「だから自惚れんなって言ってんだろ、馬鹿」

そう憎まれ口を叩きながら、迷惑そうに顔を顰めて私の頭を叩いた方の手で自身の後頭部をがしがしと掻く。
ポーカーフェイスが台無しの仕草に思わず笑うと、さっきよりも力を増した勢いで、今度はげんこつが落ちてきた。
お互いの腹の内など見るのも飽きた。隠すことなど今更ない。
ならば、この無愛想な公務員風情には、せめて、心を丸裸にしてぶつかってみようか。
なんて、その人が聞いたらいやいやと首を振って後ずさりでもしそうな思いつきに胸を弾ませながら、グウと鳴ったお腹をおさえた。
空腹とは生きている証拠だと昔聞いた覚えがあるが、それを正とするならば、今生きている私は、この人が与えてくれたのかもしれない。

馴染みのラーメン屋が見えてきた。
隣の男の制服の裾をつかみ、その店を促せば、「またか」と呆れたトーンで溜め息をつく。
いつもと同じワンシーンには違いないのに、二人の間に流れる風は昨日よりずっと穏やかに感じた。

公開日:2012.07.29