ドローゲーム・アフター・ゲーム

俺様の愛しい子は今日もにこにこと微笑んで、ほんの少し首を傾け俺を呼ぶ。

「猿飛先輩」

まるでふわふわの生クリームが乗っかったケーキのような甘い甘い笑顔。
どこぞの甘党ほど甘味が得意な俺ではないけれど、彼女がそれであれば喜んでかぶりつくだろう。

「猿飛先輩?」
「ん、ああ、ごめんごめん。ちゃんが可愛くて俺様思わず見とれちゃったよ」
「もう、すぐそうやってからかう」

本音なんだけどね。そう言っても信じてもらえず、本当だと言えば言うほど唇を尖らせていく。
まったく、なんて可愛らしいこと。
大きくて丸い瞳に覗き込まれれば、一瞬時が止まったような錯覚に陥るほど己の動きが鈍ってしまう。
今日はどんな話題を引っ提げて来てくれたのか、間もなく始まるであろう彼女の話に耳を傾けるべく、その愛らしい声を聞き漏らすことのないよう熱心に、顔の高さを合わせた。

「先輩あのね、私、子どもが生まれたら佐助って名付けたいんです。いいですか?」

突拍子もないのはいつものことだが今日はとびきりエンジン全開だ。
質問の内容は分かったが、意図がまるで汲み取れない。
どんな流れでその発想に至ったのか、見当もつかないのだ。

「あの、イヤならそう言ってください。ご迷惑なら他を考えますから」

しばらく声を発せられなかった俺を見て不安に思ったのか、おどおどと申し訳なさげに言葉を紡ぐ。
嫌だなんて、とんでもない、むしろ光栄だと声を大にして言ってあげたいが、いかんせん意図が見えない。
そもそも子どもに俺の名前をつけるということは、だ。
そこまで思考を巡らせてハッとする。
先ほどよりも更に沈んだ表情でこちらの様子をうかがう彼女の姿が目に入ったからだ。

「迷惑だなんて、そんなわけないでしょ。大歓迎だよ。でも、どうしてそう思ったの?」
「今朝、かすがと市ちゃんと進路の話をしていたんです」

彼女が言うには、こうだ。
3人で進路の話をしていた中で、そういえばの将来の夢は何かとかすがが尋ねたらしい。
ちゃんは職業を挙げるわけでもなく、幸せな家庭を築きたいと答えたらしく、それならどんな家庭がいいのか、子どもは何人欲しいのか、など事細かにかすがやお市が質問をしてきたとのこと。
子どもは男の子と女の子が一人ずつ欲しい、男の子は元気で明るくて優しい子に育ってほしいという思いから、それなら、と俺の名前が思い浮かんだと言う。
それはそれは光栄な話だが、俺の本音としては落第点だと言ってやりたい。

「かすがには反対されちゃったんですけどね。やめておけ猿になるぞ、なんて言うんですよ」

その光景を思い出したのか、くすくすと笑いながら物真似をする。
ちょっと似ていたことには俺も笑ってしまったが、かすがの奴め覚えておけよと心の中で恨むことは忘れなかった。

「うーん、俺様も反対かな」
「やっぱり、ご迷惑でした?」
「違うよ。だってお父さんと息子が同じ名前じゃダメでしょ?」
「もう、猿飛先輩ったら」

からかったわけではなく、紛れもない本音だったのにまるで本気と思ってもらえなかったようだ。
真剣に考えてください、と念押しまでされるところを見ると、相当手強い。
何事においても駆け引きは得意としていた俺だったけど、彼女のこととなるとお手上げだ。
用意していた常套句はもちろん、甘い囁きも褒め言葉も誘うような視線も、何もかもが通じない。
いつものように唇を尖らせて、冗談はやめてください、とあっさり流されてしまう始末だ。
先の見えない変化球はそろそろ諦めて、直球勝負で挑むべきなのだろうか。
コロコロと表情を変えながら未来予想図を語る横顔を見つめながら、今後の戦略を練る。

「ねえ、ちゃん。子どもの名前まで考えてるんなら、旦那さんもイメージあるんじゃない?」
「それは、ひみつです」

ほんのりと頬を赤らめて人差し指を唇にあてる。
使い古された、いや一昔前の仕草なのに、彼女がそれをすると妙にしっくりきてしまう。
秘密とはどういうことだろうか。
これまでの流れからして、俺を描いてくれているとはさすがに考えられない。悔しいが。

「好きな人、とか?いたりするのかな?」
「さあ、どうでしょうかね?」
「意地悪だなあ、ちゃんは」
「からかった仕返しですよ」

どうやら答えを聞かせてもらうことは難しいようだ。
しつこく食い下がって嫌われるのも馬鹿馬鹿しいので、そっかと大人の対応をとり引くことにする。
タイミングを見計らったように予鈴が鳴り、それじゃあ、と去って行ってしまう。


ただでさえ午後の授業はダルいと言うのに、とんでもない爆弾を残していってくれたものだ。
おかげで普段以上に授業の内容など頭に入ってくるわけもなく、彼女の想い人は一体誰だろうと考えてみる。
彼女と同じ一つ下の学年の知り合いを思い浮かべてみる。
いまだに女慣れしない昔馴染みや、生意気な眼帯の男がチラチラと脳裏をよぎり、それだけは頼むから勘弁してくれと、信じたこともなかった神や仏に祈ってみたりする。
ああ重症だ。恋の病だなんてよく言ったものだ。
最初はほんの悪戯心でちょっかいをかけていただけが、いつの間にかどっぷり浸かっていた。
踏み込んでしまえば抜け出せない、性質の悪い底なし沼。

午後の授業が始まってからHRが終わっても、うわの空で誰の言葉もろくに入ってこない。
クラスメイトが散り散りに教室を出ていき、廊下やグラウンドが騒がしくなっても、俺は立ち上がることも億劫になっていた。

「猿飛先輩」

教室はもちろん、廊下もすっかり静かになってしまった頃、その声は聞こえた。
条件反射で体を起こし声のした方に目を向ければ、昼と何も変わらず微笑む彼女がそこにいる。

「どしたの、ちゃん。放課後に来るなんて珍しいね」
「ちょっと先輩に用があって、あの、お時間いいですか?」
「うん、もちろん」

俺がそう答えれば嬉しそうに近寄り、隣の席にゆっくりと腰かける。
放課後の誰もいない教室で二人きりなんて、まるで告白のワンシーンみたいじゃないかと一瞬期待をしてみたが、冷静な自分が襟首を引っ張る。

「お昼の話ですけど、あれ冗談ですから、気にしないでくださいね」
「どういうこと?」
「子どもの名前は佐助にする、なんて、そんなのウソです」

ペロリと舌を出して照れたように笑う表情は、それはとびきり可愛いが、このフラれたような感覚は何だろう。
父親じゃなくて子どもが佐助かと残念に思ったのは事実だが、自分の名前を子に与えると言ってもらえたことは素直に嬉しかったというのに。
わざわざそれを告げに来る彼女の素直さは拍手してあげたいところだが、今日の俺にはダメージが大きすぎる。

「あははー、そりゃそうだよね、一生の問題だからね、真剣に考えなきゃね」
「そうですよね。だから猿飛先輩、そのときは一緒に考えてくれますか?」

まったく予想のしていなかった返答に思わず口が開きっぱなしになってしまった。
へ、と漏れた声が情けないと気付き慌てて閉じたが目の前の彼女は笑う様子もなく、真剣そのものといった表情で、じっとこちらを見つめている。

「それって、」
「私、猿飛先輩のお嫁さんになりたいです」

再び、へ、と漏れてしまったのは仕方がないと思う。不可抗力だ。
今にも泣きだしそうな、それでいてどことなく期待するような視線にごくりと唾を呑む。
なんだそうなのか、と理解してしまえば、湧き上がる感動や喜びと共に、駆け引きを好む俺の冷静さが顔を出す。

ちゃんって俺様のこと好きなの?」

こくり、と小さく、だけど確かにその首は縦に動いた。
真っ赤に染まった頬は夕焼けのようだが、まだその時間には早い。
その変化は空模様でも照明のせいでもなく、彼女の本音をたっぷりと表している。

「先輩は?」

恐る恐る、と言うが正しいか、急かすようにと言うが正しいか、きっとどちらも正解だ。
彼女は不安を抱えながらも期待を込めて返答を待っている。
さあて、どう答えてあげようか。
むずむずと起こる悪戯心に支配されながら、甘い瞳を見つめて答える。

ちゃんが俺様のお嫁さんになったら教えてあげる」

今まで散々焦らされてきたんだ。期待なんて持てないくらい望みのない日々を過ごしてきたんだ。
ちょっとくらいの意地悪ぐらい、許してくれるだろう?

なんて恰好つけていられたのもほんの僅か。
数十秒後には抑えきれず「ちゃん大好き」とその柔らかい肩を抱きしめてしまうのは、男の性ってモンでしょう。

公開日:2012.12.15