左薬指の約束を亡くした日

ボンゴレ本邸のダイニングはいつも賑やかだ。こうして食事をしている時間だけはあの頃と変わらなくて、オレ達にとって数少ない安息の一時かもしれない。
そう感じているのはきっとみんな同じで、ツナは席に着くたび「オレずっとここにいたいよ」と苦笑いをするくらいだ。

「ボスが情けない声出すな」

すかさず小僧の蹴りが入る。文句を言いながら後頭部を撫でるツナ、すぐさま駆け寄る獄寺、「相変わらずだな」と笑うオレと、それから。

「もうすぐ食事が運ばれてくるのに、埃たてないで」
「不機嫌そうだな、。マリッジブルーか?」
「リボーン君ったら、もう」

何気ない会話によって、安息の時は一瞬にして崩れる。他の誰もが変わらぬ表情でいる中、オレだけは同じようにいられず、薬指に光るエンゲージリングから目を背けた。それは、今朝から彼女の指にはめられている。


とは中学からの付き合いで、ツナの近所に住んでいた。幼馴染と呼べるほど近しい間柄ではなかったようだが、気付けば、ツナや獄寺、それからオレのいる場所には必ずいつもがいた。だから、イタリアへ行くことを決めた際にも、それが当然であるようにを誘った。最初はひどく困惑していたが、ゆっくりと経緯や事情を話すと、ゆっくりと頷いてくれた。

当時のオレはまだまだ子供で、恋愛とか女とか、そういった類の話題には鈍かったんだろう。だけど確かに、のことだけは大切にしたい、と強く思っていた。そのせいか、相手も同じ気持ちでいてくれている、と心のどこかで信じていたし、実際にその通りだったはずだ。だから、こちらから想いを伝えることはなかったし、それを感じ取っていたから何を言われたこともない。オレ達に言葉なんて必要なかった。

しかし神か仏の悪戯か、間もなく彼女は結婚をする。相手はイタリアでも有数の資産家だ。ボンゴレと言っても出資が必要で、その中の1つがの結婚相手だそうだ。パーティーで一目惚れをされたらしく、その後の猛アタックと、あとは大人の事情で、あれよという間に縁談が決まった。半ば、政略結婚みたいなものだ。

周りの期待に反してツナは断ってもいいと何度も言った。しかしは「断る理由がないもの」と、困ったように笑いながら自身の未来をどこぞの資産家に委ねてしまった。
彼女が部屋を出てからツナは「山本はそれでいいの?」とオレに詰め寄り、「待ってんじゃねぇのか」と獄寺は促す。2人の責めるような視線を受けながらも、結局、オレがに声をかけることは、なかった。


あれから3ヶ月が経ち、ツナもさすがに説得するのをやめていた。「玉の輿だ」と浮かれるの言葉を信じ始めているからだ。
だから、先程のような何気ない会話にも「やめろよリボーン」と言いながらも笑っていられるのだ。オレ以外はみんな、彼女の言葉を疑うことなく、自分の娘を嫁にやるような気持ちでその日を迎えようとしている。

がお嫁に行ったら、オレ寂しくなるな」
「あら、嬉しいこと言ってくれるのね。ドン・ボンゴレのお呼びがかかればいつでも帰ってくるわよ?」

鼻歌交じりにグラスを揺らすは、誰が見ても幸せ一杯だ。だけどオレは知っている。バスルームの中で膝を抱えて顔をうずめて声を殺して泣いていることを。
見たわけじゃない。だが、縁談が決まってからのバスタイムがちょうど10分長くなった。彼女は辛いことや悲しいことがあると風呂の中で涙を流す。昔から変わらない。

その夜もやはり、ちょうど10分間の延長戦を経てバスルームから姿を現した。談話室から目と鼻の先だから、それをいいことにオレはこの時間いつもそこにいることにしている。こうして、静かな談話室で彼女の入浴中にだけ後悔に頭を抱えていることなんて、誰も知らない。
遠退く足音を合図に、ソファーから腰を上げてドアノブを握る。開く前にじっと目を瞑り、自分を取り戻すことも忘れない。覚悟を決めてからその部屋を出るのだ。そうでなければ、オレはきっと狂ってしまう。

そんな、すっかり定着してしまった儀式を終えて自身の部屋に戻ると、思いがけずにの姿があり、一瞬幻でも見ているような錯覚に陥る。

「おじゃましてるよ」

しかし彼女の声にこれが現実だと知らされて、不規則な鼓動を悟られぬように「よお」と何食わぬ顔で返答をした。薄暗い部屋に映る姿はあまりに綺麗で、風呂上りのせいか火照った肌がやけに扇情的だ。思わず唾を飲み込んだ。

「珍しーな、が来るなんて」
「迷惑だった?」
「んなことねーって。最近寝付きが悪くて夜は退屈なんだ。暇つぶしの相手ができてラッキーだぜ」

やけに饒舌なのは必死に誤魔化そうとする浅はかな思考の表れだった。
眠れないのは嘘じゃない。毎晩決まって同じ夢を見るからだ。それはほとんど悪夢に近くてうなされるばかり。だけど目を覚ますと夢の内容は全く覚えていない。それがとても怖くて、眠りを恐れてしまう。だから、ベッドに入っても考え事をしたり明日の予定を確認したりすることで、極力眠らないよう努める日々が続いている。

「奇遇だね。私も近頃眠れないんだ。なんだかね、怖い夢を見るの」
「どんな、夢なんだ?」
「わからない」
「なんだそりゃ」
「朝起きるでしょ。でもね、どんな夢を見たのか、全然思い出せないの。それがまた、怖くて」

同じだ。どうして、2人は同じ悩みを抱えているのか。オレは悪夢の正体が何処にあるのか見当はついている。しかしもそうだとすれば、なんて皮肉な運命だろうか。彼女が風呂場で泣いている原因も、縁談を承諾した理由も、何もかもがオレのせいだ。

「武、泣いてるの?」
「いや、なんでもねーよ」
「じゃあどうして、そんなに悲しい顔をしてるの?」
「おまえと同じだな」

こくり、と静かに、だけど力強く頷いたは、狂おしいほど肩を震わせている。抱き締めてやればその震えは止まるかもしれないけれど、弱いオレは動けずに、必死に涙を堪える彼女をただ見つめていることしかできなかった。

「すまない」
「決めたのは私。武は何も悪くない。だから、謝らないで」
「なあ、手遅れなのか?」

やっとの思いで搾り出した言葉は、願掛けに近かった。もし、首を横に振ってくれたら。もしこの胸に飛び込んできてくれたら。それらは自分勝手な期待に違いなくて、だけど独り善がりだとは思わなかった。

「もう、遅いよ」

しかし彼女の口から出たのは、オレの淡い望みを簡単に打ち砕く言葉で、揺れる瞳の奥には切なさに満ちた決意が秘められていた。きっと、それを伝えるために今夜ここへ来たんだろう。臆病なオレへの制裁を与えに来たんだ。

「どうすればいいんだ?どうすれば、」

この数ヶ月間の苦悩が一気に溢れ出てくるのを感じながら、一心不乱に彼女の肩を掴んだ。相変わらず小刻みに震えているその人は、諭すような目でオレを見る。それがまた辛くて、無我夢中で抱き締めた。こんなに簡単なことを、なぜあの時できなかったんだ。拒否されることを恐れて、自分を曝け出すのが恥ずかしくて、何よりどこかで自惚れていたバカなオレは、捕まえようともせずに笑っていた。この10年間で何ひとつとして成長していなかった。

「私だって・・・」

大粒の涙が零れて、それを拭う指には、あの忌々しいリングが光っている。金持ちの好きそうな、ダイヤが施された高価なリング。せめて、あと1日早ければ。胸が詰まって苦しくなって、何も考えられなくなったオレがとった行動は、ひどく幼稚で低俗だった。無理やりに手首を掴み、リングを抜き取る。そしてそのまま窓を開けて、大袈裟に放り投げた。野球で慣らした肩は今でも健在だ。あっという間に見えなくなった。

「これで、やり直せる、よな?」
「どうして、今さら、どうして、私、待ってたのに、」

泣き崩れるを受け止めて、何度もごめんを繰り返した。指輪はもうないし、互いの気持ちも分かり合えたはずなのに、戻れない道があることを、オレもも痛いほどに理解している。

リセットボタンは押せず、明日からまたいつもと同じ朝が始まる。そしてこの先もずっと、得体の知れない悪夢に悩まされながらオレ達は生きていくんだろう。呪縛は解けず、いつまでも2人の首を絞め続けるに違いない。

公開日:2011.11.13
前サイトでの3万打企画で頂戴したリクエスト「お互いに好きなのに報われない禁断の恋のお話」
title by 誰そ彼