熱帯夜に魔法は溶ける

夏の恋とは綿菓子のようで、甘さに浸る間もなく溶けてしまうものだ。それが終わらせたくない恋ならば、二人きりで夜空に愛を誓い合え。そうすれば熱帯夜が嫉妬するほど互いの情熱は燃え上がり、やがて永遠を約束されるであろう。


そこまで読んで、ぱたりと本を閉じる。お気に入りの小説の、お気に入りの一節。毎年夏が来ると必ずその本を手にとる。
「夏の恋」なんて、なんだか一夜限りのイメージを持っていたけど、これと出会ってからは真逆だ。夏の夜に愛する人と星空を眺めながら愛を語らうなんて、まるでおとぎ話みたい。うっとりと目を閉じながら情景を思い浮かべてみるが、聞こえてきたルフィの笑い声でフィルムは途切れてしまう。

「けど、二人きり、だもんね。無理だよねぇ・・・」

チラリと横目でダイニングに目を向けると、そこにはいつもどおりの仲間たちが、いつもどおり宴に酔っている。そして私もいつもどおり、早めに退散をして、こうして部屋の隅で本を読むのが習慣になっていた。

ハァ、とこっそり溜め息を漏らせば、どこから見ていたのか聞きつけたのか、つい先程まで思い浮かべていたシーンの相手役がこちらに向かってくる。目が合うと、さっと片手を上げて合図をした。そして隣に腰を下ろして私の顔を覗き込む。

「溜め息なんて君らしくないな。幸せが逃げちまう」
「十分に幸せだと思ってはいるんだけどね。私ってワガママなのかな」
「えっと、意味がわからねェんだが、」
「わからなくていいよ。独り言だから気にしないで」
「はは、そりゃ無理ってもんだぜちゃん。おれがどれだけ君を思っているか知ってるだろう?」

ニコニコと、照れる様子もなく、そんなセリフを吐いてくれる彼が確かに好きだけれど、いまだに慣れず私だけが恥ずかしくなってしまって、目を逸らす。

ちゃんは、それが好きだな」

黙ってしまった私に気を遣ったのか、手元の本へと話題を変えて「嫉妬するよ」と少し困ったように微笑んだ。

「夏の夜にね、好きな人と愛を誓えば永遠が約束されるんだって」
「ロマンチックだな。まァ、おれたちはいつでも愛を誓い合っているが、」
「残念。二人きり、でなきゃダメなの」
「それは少々難解だな。さっきの溜め息は、そのせいか?」
「まあね。ちょっと憧れるくらい自由でしょ?じゃ、先に寝るわ。おやすみなさい」
「あァ、おやすみ。寂しくなったらいつでもおれを呼んで」
「今夜は寝ずの番でしょ?責務を果たしなさい」
「ごもっともな意見だが・・・、おれとしては物足りねェな」
「ま・た・あ・し・た」

伸びてきた手をぺちりと叩けば「つれねェな」と渋々その手を引っ込めた。私だって物足りないけど、こちらがそう言ってしまえば誰が二人を止めてくれるというのか。最後に、頬に口付けて「おやすみ」と囁けば、間違えても正気には見えない青年が一人残った。


ベッドに潜るのも私が1番で、あとからナミとロビンが戻ってきてもいつも寝たふりをすることにしていた。サンジについてのあれこれを聞かれるのが恥ずかしいのと、それに答えればきっと不満をこぼしてしまって二人を困らせるのが予想できるからだ。
その日の夜も戻ってきた二人に声をかけられたけど、案の定寝たふりを決め込んでいた。浅はかな狸寝入りは気付かれているはずだけど無理やりに起こされることはない。

「寝てるみたいね」
「愛しの彼は、今夜は寝ずの番だもの。寂しくなるのも仕方ないんじゃない?ね、

わざとらしく寝息を立ててごまかしてみたものの、やっぱりバレてしまっているようで、クスクスと笑い声が聞こえた。きっと今の自分は、チョッパーが「病気だ!」と騒ぎ出すくらい、真っ赤な顔をしているに違いない。


寝るのが1番だからと言って、起きるのもそれに倣うわけではない。誰よりも彼が早起きをしてキッチンに立っている。寝ずの番だろうがなんだろうが、彼はそれを欠かさないのだ。

「おはよう。今日も暑いわね」
「あァ、早いね。ゆっくり眠れたかい?今夜はちゃんが寝ずの番だろう?たっぷり睡眠をとっておかないと、体に悪いよ」
「平気よ。誰よりも先に寝てるんだから」

そうだ、今夜は私の番だった。以前に朝を待てずに眠ってしまったことがあった。さすがに二度目はないけれど、その分いつも緊張して必要以上に疲れてしまう。「そういえば今夜か」と思わず溜め息をつく。幸い料理中の彼には聞こえなかったようで、慌てて口を閉じた。
憂鬱な気分をなんとか振り払おうとしていたところ、勢いよく扉が開いてキラキラと目を輝かせながらルフィが入ってきた。

「祭だァ!!!」
「「は?」」

料理中のサンジと、ブルーな気持ちの私、どちらもルフィの突然の叫びに同じ反応を示す。無理もない。朝っぱらから、なんの脈絡もなく「祭だ」などと言われても、それに対してまともな受け答えをしろと言う方が無茶だ。

「ごめん、ルフィ、わかりやすく説明して」
「だから祭なんだよ。お前もしかして、祭知らねェのか?」

ルフィの話を要約するとこうだ。今日中に上陸できそうな島があり、そこの国では王女の誕生祭が行なわれるらしい。朝から晩まで街はパレード、隣国からも見物客が来るほどのビッグイベントだと言う。
イベントごとの好きなルフィのことだから、逸る気持ちを抑えられなかったんだろう。

「明け方近くまで花火が上がるらしいぞ!みんなで見に行こう!」
「私はいいや。人ごみはちょっと苦手だから」

その後何度も「行こう」を繰り返すルフィを宥めると、つまらなさそうに唇を尖らせる。ルフィには申し訳ないと思いながらも、私が首を縦に振ることはなかった。
人ごみが苦手なのは事実だし、それに加えて今夜は寝ずの番なのだ。騒ぎ疲れて眠ってしまうことだけはなんとしてでも避けたかった。


「本当に行かねェのか?」
「私のことは気にせず、楽しんできて。ちょうど読みかけの本を終わらせたかったのよ」
「本より祭のほうがおもしれェぞ」
「私には本の方が魅力的なの」
「そうか?おれにはわからねェけど。まァがそう言うなら行って来る!」
「うん、いってらっしゃい。サニー号は私にまかせて」

昼過ぎ、島に船を着けてからもう一度行なわれた意思確認にもやはり「うん」とは言わず、それらしい理由でみんなを納得させて見送った。
私の本好きは船員誰もが知っていることだし、ルフィと反対にイベントが苦手なことも周知の事実だった。おかげで、ナミやロビンからの追及を受けることもなく、どうにか船に残ることができた。

どこからか聞こえてくるファンファーレの音や群集の歓声をBGMにして、昨夜閉じてしまった本を再び開く。そして、あの一節を読み返し、自嘲気味に呟いた。

「二人きりどころか、一人きりじゃない」


噛み締めるように読み進めていると、いつの間にか視界が悪くなっていることに気付いた。数時間ぶりに本を閉じて外に出れば、辺りはすっかり暗くなっていた。
むせかえるような暑さに顔をしかめながらも変わらずに響く歓声に耳をすませていると、人の気配を感じて身構えた。侵入者であれば、自分一人で何ができるだろう。恐る恐る振り返ると、悪い予感を一瞬にして取り除く姿がそこにはあった。

「サンジ、どうして?」
「夜空に愛を誓うには絶好のチャンスじゃねェかと思ってね。お隣よろしいですか?」
「ええ・・・もちろん」

恭しく礼などしてその人がこちらへ歩み寄る。その一連の動きがなんだかまるで物語のワンシーンのようで、思わず声を出して笑った。

ちゃん、見ていて。もうすぐだよ」

その指示に従い示された方向へと顔を上げる。星と月がきらきらと輝いていてとても美しいけれど、昨晩と変わったところは何もない。愛の語らいでも始めてくれるのだろうか、と首をかしげたとき、細い風が一気に通り抜けるような音が聞こえた直後、轟音と共に空に大きな花が咲く。

「この時間になったら花火が上がると聞いたんでね。君と二人で見たかったんだ」
「きれい・・・」
「あァ、きれいだ。花火に照らされたちゃんの横顔が、ね」
「もう、すぐにそういうこと言って。ムードぶち壊しよ」
「これは失礼。愛を語らうには最高のシチュエーションかと思ったんだが」
「ふふ、ありがとう」
「礼を言うのはおれのほうさ。こんな機会を与えてくれたのは君だろう?」
「違うわ。ルフィのおかげよ」
「はは、違いねェな」

そっと手を伸ばし、隣のそれにふれてみる。何を言わずとも握り返してくれる温度が指先から全身へと広がり、思わず緩む表情が全てを物語っているようだった。
次々と打ち上げられる花火を見つめながら、永遠を約束されるよりもこの一瞬が幸せだ、と思わずにはいられなかった。

公開日:2011.08.09
前サイトでの3万打企画で頂戴したリクエスト:「夏祭りっぽく、船の上から2人っきりで花火見るシーン」
title by 誰そ彼