あのタルトには媚薬が入っていた

どうしてしまったんだろう。私という人間は。その名前を耳にするだけで、その声を聞くだけで、その目に映るだけで、その顔を見るだけで、その人に呼ばれるだけで、ただ、それだけで、気が狂ってしまいそうになる。

ちゃん、どうかした?」
「ううん、なんでもないの」
「今日のアフタヌーンティーはお気に召さなかったかい?」
「まさか」
「それなら、君の脳内を覆い尽くす悩み事をおれに聞かせてくれないか?」

もう、だめだった。胸がいっぱいで、たまらない。今にも心臓が弾けてしまいそう。ダメなの、と、やっとの思いで告げ、キッチンをあとにした。ナミとロビンが不思議そうに顔を見合わせていたことには気付いてる。

甲板では相変わらず剣士が昼寝をしていて、そこから少し離れて腰を下ろした。口の中に残るミルクティーとベリータルトの淡い甘み。おいしくない、わけがなかった。それなのに、私は本当にどうしてしまったんだろう。一口、二口、と進めるにつれて胸が苦しくなった。耐え切れずにフォークを置いて、揺れるティーカップの底を見つめるしかできなかった。
きっとサンジは気にしているんだろう。甘いものには目がない私が彼特製のベリータルトを半分も残してしまったんだから。この心臓が静かになるには時間がかかるだろうけど、サンジには謝っておこう。半ば強制的に重たい腰を持ち上げて、もっと重たいキッチンのノブを回すと、そこでは彼が一人、私のティーカップを磨いていた。

「あの、サンジ」
「具合はどう?ちゃん」
「さっきは、ごめんなさい」
「何が?」
「なにって、せっかくのおやつ、残しちゃって」
「それでわざわざ戻ってきてくれたのかい?それよりも君の体調が心配だ」
「わ、私は、だいじょうぶ・・・です」

うそ。大丈夫だなんて、むしろ鼓動は速まるばかりなのに。この感情は、もしかして。その答えにたどりついたころ、その人は目の前にいた。いつものように、優しく微笑んで。

「目がうつろだ。愛しいちゃんをこんなに悩ます奴は誰だろう」
「いと、しい、なんて、」

口に出した途端、言い知れない感情がこみ上げてくる。私は何を言ってるの。サンジは相手が女性なら、誰にでも優しいのよ。自分が特別だなんて、思ったらダメ。自分への言いつけとは反して、涙は勝手に出てくる。この小さな恋は、もう終わりを迎えてしまうのだろうか。

「どうしたんだい、プリンセス?何か困らせるようなこと言った?」
「ちが、ちがうの」

困らせてるのは私のほう。勝手に恋して、勝手に勘違いして、勝手に泣いて。彼は何も悪くないのに。相変わらず胸が痛い。ちくりちくりと刺さるような痛みが徐々に肥大する。泣き止め、ばかなわたし。けれど体は言うことを聞いてはくれない。

「涙を止めるおまじない」

ふわり。涙まみれの小さな体は、すっぽりと包まれてしまった。私、抱きしめられてる。自覚した途端、愛おしさに胸が押しつぶされそうになった。おまじないの効力は絶大なようで、気付けば流れる涙はもういない。

「おまじないにオプションはいかがですか?」
「おぷしょん?」
「そう、例えばこんな、」

視界が真っ暗になって、唇と唇がふれて、煙草の香りが漂った。あ、と声を漏らすと、彼は見たこともないような表情で私を見た。

「言っておくけど、おれは誰にでもキスするような男じゃないぜ?」

口調もさっきまでとはまるで別人。ジェントルマンはどこへ行ったの。小さな抵抗をする余裕もいただけず、声をなくした唇は再び塞がれてしまった。恋した余韻に浸る間もなく、気付けば囚われの身。まんまとやられてしまった。うちのコックは、この海一の策士に違いない。

ああ、もしかすると、たぶん、きっと。

公開日:2009.11.28

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