君が知らないポーカーフェイスの実情

ある男と別れてから、否、関わってしまったことで、私の人生は転落していく一方だった。確かに顔は整っているけれども、その言動は決して普通とは言えない。群れている、というだけの理由で、どこから出てくるのか、仕込みトンファーで襲い掛かる。気に入らないことがあれば顔色ひとつ変えずに「咬み殺す」と言い放ち、それを実行してしまう。そんな彼に突然呼び出され好きだと言われて、考える間も与えられずに付き合うことになっていた。

この男に恋愛感情があったのかと驚かされたけれど、その衝撃はどうやら間違いだったようで。ほとんど面識もない私に対して勝手にと呼び捨てにし、コーヒーが飲みたい、寝るから1時間経ったら起こして、と我侭の限りを尽くす。彼女というよりかは、ただのメイドだった。

どちらかと言えば気が長くはない私は、1ヶ月で我慢の限界に達し、別れをつきつけた。多少なりとも動揺でもしたら、こっちも気持ちが動いたかもしれない。だけど彼の表情は何一つ変わらず、「好きにすれば」と吐き捨てるだけだった。

あれから、異常な1ヶ月間を取り戻すべく、それなりに恋愛をして彼氏も出来て、それなりに満ち足りた日々を過ごしていた、はずだった。何の前触れもなく、その彼氏に別れてくれと言われ、目を丸くしていたのも束の間。次の彼氏もその次も、同じように皆いなくなってしまった。悪魔の導きのごとく、男運をすっかり失ってしまったみたい。


そんなわけで、恋愛からすっかり身を引いてしまった私は、ひとり屋上で寝そべっていた。今日は暖かいなぁ、とか、雲が流れていくなぁ、とか、サンドウィッチがおいしいなぁ、とか、とりとめもないひとり言を空に向けながら。

「ひとりぼっちで寂しそうだね」

予兆もなく現れるのは、この人の得意技だ。今でもそれは変わらないらしい。学ランをなびかせて、こちらを見下ろしている。せっかく良い気持ちで日光浴していたのに、貴重な昼休みが台無しだ。なんて、実は午前中から授業にも出ず、ずっとここにいるんだけど。京子には、体調が優れないから外の空気を吸ってくる、と言ってある。

「ボクシング部主将の妹が心配していたよ」
「どうして京子が?」
「どこにもいないからって、僕のところへ来たんだ」
「あの子は見当違いな行動をとるんです」

京子め。よりによって、この人のところに私がいるわけないでしょう。一体いつの話。さっさと教室に戻って、京子をとっちめてやらないと。立ち上がり、スカートの裾をはらった。

「どこに行くんだい?」
「教室へ戻るんですよ。お昼休みも終わるので」

目も合わせずに、食べかけのサンドウィッチや敷いていたハンカチを拾い上げる。約半年ぶりの会話だけれど、早くここから立ち去りたかった。この人と一緒にいても、運勢が悪くなってしまうだけだ。


「なんでしょうか」
「行くな」

掴まれた手首が熱い。否、掴んだ手の方が熱過ぎるんだ。私の体温は至って正常で、やけに高温なのは、この人だけ。もう関係ないのに名前を呼ばないで。今さら引き止めるなんて、勝手すぎる。ここで情に流されても、きっと同じ目に遭うだけ。あの頃みたいに、いいように使われて、愛情なんてちっとも頂けずに私が腹を立てて終わるだけのこと。

「離してください」
「僕が行くなと言ってるんだ」
「何の権利があって?」
「君の彼氏だろう」
「いつの話ですか」
「君は、僕以外の男じゃ手に負えないだろうからね」
「もしかして、雲雀さん、」
「表情にこそ出さないけど、僕は意外と嫉妬深いんだよ」
「意外ではないですね」
「それから、僕がコーヒーを淹れてくれと頼むのも、名前を呼ぶのも、だけだよ」

あっさりと、相変わらず顔色ひとつ変えずにそう言い放つ。呆れてものが言えない私を横目に、何故か彼は溜め息をつく。

「つまり、それだけが好きってこと」

息を呑む。頬が赤く染まるのを肌で感じながら、今度はきっと好きになってしまう予感がした。悔しいけれど、結果、その予感が確信に変わるまでに、時間はかからなかった。

公開日:2010.02.21

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