その恋に落ちる、白旗のご用意を

「なぁ、頼むわさん」
「イヤ」
さんの一言で全てが解決するんやで」
「関係ない」
「そこをなんとかお願いします。このとおり」

教室で土下座など、わざとらしいことをしてくれるものだ。それも我が氷帝テニス部のレギュラーが。おかげで周囲からは好奇と嫉妬の目が向けられていて、特に女性陣からの声には頭が痛くなるほどだった。

「俺からも頼むよ。アイスおごるからさ!な、いいだろ?」
「たかがアイスひとつでどうにかしようなんて甘すぎるね」

揃いも揃ってテニス部レギュラー(それもダブルスペア)が、テニスとは縁もゆかりもない私にここまで頭を下げるのには、理由があった。





それは3日前の出来事。放課後の教室でひとり日誌を書いていたはずがいつの間にか眠ってしまっていた。そこへ現れたのは、岳人でも忍足でもなく、テニス部部長のあの男。学園の99.9%の女子生徒は彼に好意を持っていると言っても過言ではない。そして残りの0.1%に私は属している。
あの、自信に満ちた態度が気に入らない。自分を中心に世界が回っているとでもいうような言動はもっと。だから、そこへ現れた彼に対して嫌悪感を剥き出しにしてしまうのは、仕方のないことだと言える。

「見てのとおり岳人たちならいないよ」
「あいつらじゃねぇ。お前に用がある」
「・・・なに?」
「んな嫌そうにするんじゃねぇよ。まぁ、それもこれで終わりだろうがな」
「話なら簡潔にしてもらえる?私も暇じゃないんだ」
「かわいげのねぇ女だ。まぁいい。おい、俺様の女になれ」
「は?」

ぽかんとした私を見て、腰砕けになったとでも勘違いしたのだろうか。満足気な笑みを浮かべながら、「驚くのも無理はないが」などと抜かして、どうやらますます自己陶酔してしまったらしい。相変わらず、かわいそうな男だ。冗談か本気かは定かではないし、どちらにしても興味はない。

「ごめん、興味ない」

ストレートな本音をぶつけてみたが、さすがに驚きを隠せなかったようだ。仮にくだらないジョークだとしても、自らの申し出を断られるなどとは思ってもいなかっただろうし、そんな経験もないのだろう。「冗談はよせ」と言った目には若干の焦燥が見えた。なんだか少し同情したくもなる顔だが、余計なことをして痛い目に遭うのは自分だとわかっているので、それ以上は口に出さず、帰り支度をした。

「おい、待て。理由を言え」

フラれておいてなお命令口調を保てるなんて、さすが跡部様。感心するよ。理由といわれてもひとつしかないんだけどなぁ。言ってもいいけど、あなた傷つくよ?しかし本人が知りたがっているのだから答えてあげるのが筋ってものか。

「好きじゃないから。それだけ。もういい?私、帰るね」

引き止められるかもしれない、と予感したがそれは外れた。彼は、まるで硬直したように、その場に立ったままなのだ。どうやら冗談ではなかったみたい。なるほど、あの跡部でもショックを受けたりするのか。ゆっくりと押し寄せる罪悪感に、ほんの少し胸を痛めながら教室をあとにした。





その翌日からだ。クラスメイトのダブルスペアが、空き時間のたびにこちらへ赴いて、頼む頼むと頭を下げる。あんな跡部を見るのは初めてだ、とか、あれじゃあ練習にならない、だとか、こちらの同情を誘うような話題を大袈裟に投下してくるが、その手には乗らない。

「せめて練習だけでも見に来てやってくれよ。樺地や鳳も心配してんだぜ?」

なんの罪もない後輩の名を出されると、チクリと刺す痛みに悩まされる。まるで面識のない二人だったが、それが余計に傷を広げるのだ。

「ちょっと覗く位なら、」
「ホンマか!おおきに、助かるわぁ」
「マジかよ、さっすが、お前ならわかってくれると思ってたぜ」
「あのね、見るだけだから。すぐ帰るよ」

承諾してしまったものの、もちろん気は進まない。放課後が近付くたびに憂鬱は増して、こっそり帰ってしまおうか、などと考えてしまうほどだった。そして終礼が終わり、クラスメイトはそれぞれに散る。帰宅する者、部活へ向かう者、教室に居残る者と様々だ。いつもであれば私も帰宅部代表として門を抜けて、いつもの友人らとファーストフード店へ急ぐはずだった。

「頼むぜ、待ってるからな!」
「ほなさん、あとでな」
「ああ、うん」

力なく上げた右手はすぐさま後悔の拳へと変わる。囲うように集まった馴染みのメンバーに事情を話し、そういうわけだから今日は不参加で、と涙ながらに告げた。「ついていこうか?」と興味津々な優しさには丁重にお断りをする。

テニスコートへ向かう足取りは、言うまでもなく重い。靴底に鉛でも仕込まれているようだ。それでも約束してしまったからには、と律儀に歩を進める。耳障りな声援が聞こえてくる頃、憂鬱はピークに達していた。
陣取っている女子たちの後ろから、こっそりと覗き見る。黄色い声を浴びせられた張本人は、当たり前だがラケットを握っていて、これも当たり前だが練習に励んでいる。なんだ、ふつうにしてるじゃないか。騙された。
帰ろう、と向きを変えたところでホイッスルが鳴り、何気なくもう一度コートへ目を向けたことを後悔した。つい先程まで、あれだけ活気に満ちていた瞳に哀愁が漂っているのだ。ベンチに腰掛け、首にかけたタオルで表情を隠そうとしているが、それでも見えてしまった自分を恨みたい。岳人たちが言っていたのは、これのことか。

結局、帰るに帰れず、女子たちに隠れるように練習を見届けてしまった。ここまで来たからには、声くらいかけておこうか。溜め息を携えながらテニスコートの脇につっ立っていると、しばらくして、その男が部室から出て来た。岳人や忍足、その他レギュラー部員も一緒だ。失敗した。あのメンバーを前にして、なんて声をかければいいのか分からない。見つかる前に帰ってしまおう、と思い立ったその瞬間。

「お、じゃん!すぐ帰るんじゃなかったのかよ?」

クソクソ岳人め。小さいくせに目はいいのか。本人が聞いたら確実に激怒するであろう悪態を心の中で唱えて小さく舌打ちをする。

「ヒマだったし、わりと面白かったし」

チラリ、と視線を向ければ、目を見開いているそいつがいた。ああ、もう、そんな顔されたら困るじゃない。「それじゃ、私はこれで」と逃げるように背を向けるが。

「待て。お前らは帰れ」

一言目は私に、二言目はレギュラー部員に発せられたものだろう。できれば私も岳人たちと一緒に帰らせていただきたいが、悪いことをしたわけでもないのに弱みを握られているような心情に負けて、その場に残ってしまった。忍足がわざとらしく他のメンバーを連れて行こうとする。もちろん引き止める理由もない(ことはないが、二人の顔を立てる意味で、ないことにした)ので、とりあえず、「また明日」とおきまりの挨拶を投げかけた。

呼び止めておいて、無言でいるのはやめていただきたい。気まずい沈黙に耐え切れず、様子を窺うように、こちらから切り出してしまった。

「あのー、なんでしょう?」
「送っていく」
「い、いいよ。一人で帰れるから」
「もう暗くなってんだろうが。お前に何かあったら、」

言いかけて、プイと顔を逸らされてしまい、結局彼の口から続きは出てこなかった。だけど、聞かなくてよかったと思う。だって、それはきっと、彼には似つかわしくなくて、私の頬を一瞬にして染めてしまうこと間違いないセリフだろうから。生憎私はひどく単純なのだ。

「おい、言っておくが、俺は本気だ」
「ああ、うん・・・」
「今はお前が俺をどう思っているか知らねぇが、覚悟しておくんだな」
「何の覚悟よ」
「フン、そのうち分からせてやるよ」

拒絶する間もなく、その大きな手にすっぽりと包まれてしまった自分の右手は、なんだかとても熱く感じてしまってモヤモヤする。そして徐々に騒ぎ始めた心臓は、まるで物語の幕開けを彩るファンファーレのようだ。ええい、静まればか者。

公開日:2011.08.12

title by 誰そ彼