吐息ひとつで世界が震える

どうしようもないほど喉が渇いて押した、11桁のナンバー。
5回目のコールで聞こえた声に体が大きく反応する。

『なんだよ、こんな時間に』

電話回線を通じて伝わる苛立ちは私の脳を刺激する。

「用なんてないよ」

クスクス、悪戯に笑ってみせた。
重苦しい溜息は嫌いじゃない、寧ろ、心地よい。

『お前、相当ヒマな人間なんだな。俺は忙しいんだ』

へえ、とか、ふうん、とか、適当な応答ばかりを繰り返す。
ありったけの嫌味と文句を並べるくせに、電話を切る気配はまるで無い。



自分の名前が、こんなにも耳に響いて聞こえるのは、きっと跡部に呼ばれるときだけ。
いつまでも余韻に浸っていたい私を拒むように舌打ちで合図する。

『今どこにいるんだよ?』
「家だけど、さっきまで忍足とコンビニ行ってた」
『・・・そうか」

軽く聞き流したつもりかもしれない。だけど、焦燥や悲哀がひしひしと伝わってくる。
居心地の悪い沈黙に後悔しながらも、やっぱり電話は切れない。
少し汗ばんだディスプレイが気にかかる。
それ以上に受話器の向こうにいる人の表情は、もっと。

「跡部もしかして、怒ってる?」
『俺が怒る理由がどこにある』

素直じゃないな。私もだけど。
今すぐ会いたいな。言えないけど。
空回りする感情を閉じ込めて、中身の無い世間話でその場を必死に取り繕う。
ひたすらに進んでいく秒針は、まるで二人を嘲笑っているように思えた。



『おい』
「それで、忍足が、」


ここまで届きそうなほど大きな溜息をついた。
傍にいないのに。不思議と耳元がくすぐったい。

『遠回りしてねーで、さっさと用件を言え』

鋭く優しい語尾が曇っていた空気を濾過する。
空気中に増えた水分が溢れて、落ちるは一粒の雫。
紛れもなく塩辛い私の涙だった。

「・・・会いたいよ」
『最初からそう言えばいいんだよ。待ってろ』

余裕たっぷり漏れた吐息が終わらないうちに切れた電話。
無機質な音。
涙を拭いながらカーテンを開けると、星屑が必要以上に眩しい。
さっき忍足から奪い取った飴を一粒放り込む。
口いっぱいに広がる甘みは今の私そのもの。
カーライトが見えると同時にノブを掴んで飛び出す。
見慣れた高級車からゆっくりと降りたその人は、妖艶な笑みを浮かべている。

「気持ち悪い」
「ふん。憎まれ口も慣れれば可愛いもんだな」

耐え切れずに握り締めた手の平は大きくて温かい。
その手を握り返すことなく、すかさず抱き寄せるところが跡部らしい。

「お前にいいこと教えてやろうか?」
「内容にもよる」

わざとらしく息を吐き出して前髪をかきあげた。
その姿は、嫌味なほどに夜の闇を引き立てている。
私が跡部に、夜が跡部に、どちらが先に酔ったのか。
知らないけど、質で言うなら私が上だ。
跡部は至上最高の俺様節で思う存分に私を酔わせてくれた。

の好きな男も同じようにお前を想ってるみたいだぜ?」
「それって誰のこと?」
「愚問だな」

サッと私の前髪に触れたまま、憎たらしい笑みを崩さぬまま、相変わらずの口調で。

「忍足の話なんかするんじゃねぇ」

嫉妬心さえも命令に変えて、呆れる私にキスをした。
噛み付くように、しつこくて熱い、体温で。

放り込んだはずの飴はいつの間にか溶けきっていた。
唇に残る感触や温度を確かめながら、空を仰ぐ。
これほどまでに甘いものなら、願わくば、

夜の闇も、瞬く月も、星屑も、一粒のキャンディになってしまえばいいのに、と。

公開日:2009.01.03

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