青空に舞う黒い羽

バカみたいに目が腫れてしまってどうにかする気も起きない。「泣きました」と言わんばかりの産物を晒すように外へ出れば嫌味なくらいに空が澄んでいて、思わず天へ向かって舌打ちをする。唾を吐くわけじゃないから降ってくることもあるまい、と。

友人らの温かくも耳障りな同情の声には苦笑いで返答をして、その他大勢からの好奇の眼差しには見て見ぬフリを決め込んだ。頼むから、そっとしておいてほしい。
しかしそれにも疲れてしまって休み時間にするりと教室を抜け出し、あの嫌味な青空に全てを託そう、と屋上へ身を移した。仁王あたりがごろんと横になっていたらどうしようかと悩みもしたが幸いにも先客はいない。

ひとりきりの時間を噛み締めるようにゆっくりと目を閉ざし、遠慮がちな日差しを瞼で感じていた。不機嫌の要因を、この光が解決してくれるんじゃないか、と勝手な期待をしたからだ。今日は雲もない。しばらくこうしていよう、と息を吐き出した矢先、閉ざした視界の向こう側を大きな影が侵食する。

「センパイ、サボりっスか?」
「切原くんか・・・。悪いけど、すごくジャマ」

私だけの空間に入り込んだ犯人は「えー」と大げさな声を上げながら隣に腰を下ろしたみたいだ。目は開けなかった。この腫れあがった瞼を彼に見られてしまうことを拒んだせい。確信はないけどつよがりな私のことだからきっとそう思うに違いないと、もう一人の自分が分析をする。その間にも隣の男子は何やら話を始めていて、時折吹く風の音に聴覚を奪われながらも一応は耳を傾けていた。

「教室いったらセンパイいなくて俺探してたんスよ?」
「ふーん」
「柳先輩に聞いてみたら、ココじゃないかって」
「へー」
「途中で仁王先輩に会ったんスけど『ワケアリだから気をつけんしゃい』とか言われて意味わかんねーっス」
「なるほどねー」
「って、センパイ聞いてます?!」
「きいてるよー」
「ぜってーウソだ。センパイのバーカ」
「はいはーい」
「・・・ほら」

機嫌を損ねてしまったらしいが生憎今の私にはそんなことを気にする余裕はあまりなかった。そんなこと、なんて彼が聞けばまたうるさく喚くだろうけど。


この穏やかな太陽の光と緩やかな風が瞼の熱を攫ってくれるような気がしていたのに、そんな兆しはちっとも訪れない。むしろ、込み上げるように体の奥から、あのどろどろとした感情が湧き上がってくる。もう涙は流さないと決めたのに、自身の意思に反して体内の水分が加速する。
幸い目を閉じたままなので、それが溢れてしまうことはなかったけれど、唇からは小さな嗚咽が吐息に紛れて漏れていった。

センパイ?」

「泣いてるんスか?俺なんか悪いこと言いました?ス、スンマセン!」

わけも分からず謝罪の言葉を発する後輩に後ろめたさを覚えながらも、感情を抑えることに必死で返事はできない。いつの間にか涙も流れ始めてしまっていた。

しばらくして、ようやく落ち着き始めたものの、今度は別の意味で言葉が見つからず、私は身勝手に沈黙を保つ。恐る恐る目を開いてみると、困ったような焦ったようなそれでいてほんの少し泣きそうな顔の彼が微動だにせずこちらを見つめている。まるで叱られた犬みたいだ。

「よかった・・・。センパイ、大丈夫っスか?」

慌ててポケットに手を突っ込み何やらごそごそと探っているが目当ての物は見つからなかったらしく、捲っていた袖を下ろしてそのまま私の顔へと運んだ。ただでさえ腫れてしまった瞼だというのに、こんなに力いっぱい擦られてしまっては尚更だ。だけどその手を拒否するほど無神経な人間にはなりたくないので、黙って受け入れる。何より、彼の気持ちが嬉しかった。

「えっと、何があったのか俺にはわかんねーけど、その、元気出してください!」

必死に笑みを作るその表情が、彼の背に浮かぶ太陽と重なってとても眩しい。おかげさまで更に腫れてしまったであろう瞼がヒリリと痛む。ちょっとだけ睨みつけてみると、「アレ?」と不思議そうに首を傾げた。

「なんスか、今度は怒ってんの?あ、けど喜怒哀楽って言うから、次は笑ってくれるんスよね!」

安易な発想に思わず笑ってしまいそうになったけど、言われるがままは癪に障るので、プイと顔をそらしてごまかした。すると斜め後ろから「ちぇっ」と絵に描いたような舌打ちが聞こえてくるから余計に可笑しい。耐え切れず吹き出してしまうと勝ち誇ったように「へへっ」と微笑み、かと思うと不意に手を伸ばし、その腕は私の全身を包み込んでしまった。
ぎゅっと、思っていたよりずっと広い胸に顔を押し付けられて少し苦しい。抜け出そうかと力を入れる直前に、立海のエンブレムが貼られたベストが視界に広がった。見上げると、ニコニコとまるで天使のような微笑みがやっぱり眩しい。

「笑ったから俺の勝ちっスね!センパイは俺が幸せにしてあげる」

後輩の顔から一瞬にして男の表情へと変わる。あぁ、そうか。無邪気な天使だと思っていたけどそれは大きな間違いで、全てを知っていながら私を誘導する悪魔だった。
そう、彼はきっと、この涙のワケも、ひた隠しにしてきた恋心も、昨日の失恋も、ぜんぶ、知り尽くしていた。

センパイ、キスしていいっスか?」

先程の返事もまだだと言うのに、無言を肯定と勝手に解釈したらしい彼の目の色が徐々に色を帯びて、真っ赤な舌が唇の端でチラつく。乾いた唇をペロリと舐めたかと思えば、素早くそれとの距離が縮まり、鼻先が触れ合うほどに顔を寄せる。

「うん、って、言って?でなきゃ俺、最低じゃん?」

そう囁く声がまるで麻酔のように私の体内を駆け巡り、頭蓋骨を刺激する。その衝撃に耐え切れず首を縦に振ってしまえば、お世辞にも優しいとは言えないキスに呼吸を奪われるだけ。そして躊躇いもなく侵入してきたあの真っ赤な舌が、更に私を狂わせて、気付けば生温いコンクリートに背中を預けてしまっていた。

うっすらと目を開ければ相変わらず澄んだ空がこちらを見下ろしている。今朝の報いだよ、とでも言うかのような青さに一瞬気を取られたかと思えば、耳元に落とされた吐息混じりの声により再び意識は攫われる。

「もう俺以外見ないで」

それからワントーン落としてなんの変哲もない愛の文句を紡いだ唇は、完全にこの身を捕らえて離さなかった。

公開日:2011.10.03