青と青とが呼応する

鳴り止まぬアラームに苛立ちを覚えながら、耳障りな音の正体へと手を伸ばす。
いっそ電源を落としてやりたい衝動に駆られるが、一度止めたところで数分後には再び鳴り出すことを覚醒しきらぬ頭で思い出し、低く唸った。
握り拳が丸ごと入りそうな程に大きく口を開けて欠伸をすると、緩慢な動作で起き上がる。
寝ぼけ眼のままスマートフォンを片手にベッドへと腰を下ろした。

新着メール:2件

早朝に届いていた上司からのメールは軽く読み飛ばし、元親が起床する数分前に受信したメールをいそいそと開く。

From:
Sub:おはよう
ちかはまだ寝てるの?
私は朝食も済ませて、ゆっくり過ごしてるよ。
寝坊しないようにねー(笑)

けだるそうな表情から一変し、思わず綻ぶ。
起床したことを知らせるために返信をするとようやく立ち上がり洗面所へと向かった。

顔を洗いながら、コーヒーを飲みながら、着替えながら、靴を履きながら、そして家を出て歩きながら、メールの差出人の顔を思い浮かべる。
付き合って半年になる元親の彼女、だ。

学生時代からの友人である政宗の紹介で知り合い、外見とはそぐわぬ天然ぶりに惹かれてから、大雑把な男がこまめにメールを送り、内心は緊張で心臓が爆発しそうなくせに格好をつけてツーリングに誘い、数回目のデートで交際へとこぎつけた。
バイクの後ろから様子を窺うように腰に掴まる姿に、最初は、顔から火が出そうになっていたものだ。
20代も半ばを過ぎた大の男が青少年を思わせるほど初々しい感情に右往左往していたのは、今思えば忘れ去りたい位に恥ずかしい。

電車に揺られながら過去を振り返っているとガラスに映った自分の顔がふと目に入る。
一人だというのに頬を染め口元は緩んでいる。
その様子にちらちらと視線を送るのは正面に座った女子高生だ。
まるで不審者を見るような目をしているものだから、極まりが悪そうに斜め上を見上げて小さく息を吐く。

ただでさえ、この風貌だ。
何かと偏見を持たれやすい髪型と体格、そして荒々しい口調。
学生時代はそれなりにモテたものだが、年を重ねるにつれて異性からの印象は下降していくばかりだった。
特に、元親の住む近所の奥様方に至っては、根も葉もない噂を立てすれ違うたび好奇と疑惧の入り混じった視線を寄越してくる始末だ。
気の弱そうな後輩社員には声を掛けただけで怯えられ、視線すらまともに合わせようとしてもらえない。
自身が入社したての頃は上司さえも色眼鏡で元親を見ていたものだ。

確かに学生時代はお世辞にも素行がいいとは言えぬ生活を送っていた。
しかしそれは、仲間を守るためであったり、売られた喧嘩を買ったりであったり、元親自身から喧嘩を売るような真似はしていないし、弱者に手を出すことなど以ての外だった。
力で解決しようとしていたのは若気の至りかもしれないが、それも成長と共に落ち着きを覚え、無事に大学を卒業し、就職活動では苦労したもののどうにか内定を勝ち取り、今では社内でもそれなりに貢献できていると自負している。

新入社員時代には何かと上司に目を付けられていた元親だったが、次第に内面を知ってもらうことで信頼され、仕事も任されるようになった。
気心の知れた友人らからは慕われているし、男臭い性格の助けあってか友人には恵まれている。
元親自身も以前は、誰にどう思われようと関係ない。心からそう言い切れていたというのに。
と知り合ってから、懸念を抱くようになっていた。

元親と共に居ることで、の印象まで悪くなってしまうのではないか。
自分の存在により、の生活に支障をきたすのではないか。
そんな不安が頭から離れず、あれほど積極的に誘っていたデートも今では消極的にならざるを得ない。
会う頻度は減り、会うにしても決まって元親の家だ。
から「たまには私の家に来ない?」と誘われるが、実家暮らしの彼女の家など間違えても敷居を跨ぐことなどできやしない。
人間、何事も第一印象。それはこれまでの経験上、嫌と言うほど知っている。
一人娘の恋人となれば、見る目は更に厳しさを増すだろう。
そう思えば、の誘いを断る以外の選択肢はなかった。

そんな悩みを抱える元親に、友人は気にするなとフォローしてくれるし、も「何も気にならないよ。」と笑みを見せてくれる。
お決まりのデートコースに文句も言わず、近所の奥様方から向けられる視線は無視しているようだ。
"かわいい"というより"きれい"が似合う顔のは、どちらかと言えば気が強そうに見られるだろう。
実際のところ、なかなかに気が強く、曲がったことが嫌いで、芯のある女性だ。
元親への偏見に対しても「見た目だけで判断するのはおかしい。」と憤りを見せてくれるし、それだけでなく「私はかっこいいと思う。」と褒めてくれることも忘れない。
強いだけでなく海のように深い優しさと広い心を持ち合わせたに、共に時を過ごせば過ごすほど惹かれていった。

だからこそ、大切にしたいし、彼女に悪影響を及ぼしたくない。
その思いから、どうしても人目を避けるような逢瀬になってしまう。
信頼できる友人以外には交際の事実を知らせておらず、にもそう言い付けている。
それについては否定し不満を漏らすが、困る元親の表情にやむなく従ってくれているようだった。
周りに言うなと強制され、デートプランもワンパターン。そんな元親に対して嫌な顔一つせず付き合ってくれる。

『いっつも俺ん家ばっかですまねえな』
『嫌だなんて思ったことないよ?だから謝らないで。』
『たまにゃ外行きてぇとか思わねえの?』
『んー、全く思わないと言えば嘘になるけど、私は今のままで十分幸せだよ。』
『ありがとな、…』
『お礼言われるようなことは何もしてないけどねー。』

そんな彼女を思い出し、ふと時計を見ればいつの間にか21時を回ろうとしていた。
残業はいつものことだが今日は学生時代の友人らと飲みに行く約束をしていたはずだ。
鞄に入れっぱなしにしていたスマートフォンを見れば着信やメールの通知が何件も表示されている。
「やっべぇ!」と思わず声に出して立ち上がると、元親同様に残業していた斜め前の席の後輩社員がびくっと肩を震わせた。
怖がられる行動をとった覚えはないが一応軽く謝罪をして、なかなか終了しないアプリケーションに苛立ちながらパソコンをシャットダウンすると、慌てて会社を飛び出した。
1時間半遅れで飲みの場に到着すると、一斉にブーイングを受ける。

「遅ぇよ、元親。何度電話しても出ねえからトラブルでも起こったかと諦めかけてた所だぜ。せっかくのpartyに遅刻する程の理由がもちろんあるんだよな?」
「脅える捨て駒に残業を強いては先輩風を吹かせ、当の自分は煙草などを吸っていたのではあるまいな?」
「私など今宵の宴席のためにと秀吉様に許可を請い、先に退社するという非礼に自責の念を覚えながらも定刻に到着した。それを貴様は…」
「まぁ、そう睨んでやるなよ三成。元親だって事情があってのことだ。それより、久しぶりにこうして集まったんだ。この絆に乾杯を!」
「某も同意見でござる!さ、長曾我部殿、上着を脱いで一息ついてくだされ。」
「はっは、わりぃわりぃ!おう真田、ありがとよ!」

いつ見ても変わらぬ友人らの顔ぶれに懐かしさを覚えると共に心が弾み、脱いだスーツのジャケットを差し出された手へと渡しながら席に着いた。
元親の酒が席へと運ばれ乾杯をすると、一気にそれを飲み干す。
何杯目かの酒を飲みつつ、いつまでも元親への非難を続ける元就に怒るどころか笑いながら答えていると、話は過去へと遡り「あの頃も貴様は、」と当時の問題児にやれやれと首を振る。
いつの時代も、思い出話には花が咲くものだ。
こうして大人になった今、学生時代の自分達は眩しく、それぞれが自身やお互いを思い出してはからかい合って、楽しい時間は過ぎていく。
次第に話のネタは元親とへと矛先が向けられ、最近どうだとあちこちから質問が飛び交う。
元親の抱える悩みはここにいる皆が周知であるが故に、口ではなんだかんだ言いながら誰もが二人の関係を気にかけていた。

「己の縄張りに限られた閉鎖的な日常なんぞ、つまらぬであろう。貴様はそれほど小さき男であったか。」
「そ、それは、分かっちゃいるんだが…、アイツまで変な目で見られたらよう…」
殿は斯様なことを気にする女子ではござらぬと思うが。」
「アイツもそう言ってくれんだが、どうしてもなぁ…」

頭を掻きながら歯切れ悪く答える元親に周囲からも溜め息が漏れる。
大雑把で細かいことなど気にしない、男らしさに溢れている性格を知れば尚のこと、今の元親を歯痒く思ってならないのだろう。
どうすることもできぬと困り果てた様子の元親を見かねた政宗がグラスを置き、口を開いた。

「こないだ、と話す機会があったが、珍しく愚痴をこぼしていたぜ?」

思わぬ報告に焦りを覚えながら視線を向け、耳を傾ける。
元親のみならず、その場に居る全員が同様に興味津々で注目すると、テーブルに肘をつき肩を竦めてみせる政宗が続けた。

「デートがどこであろうと構わないが、本当はただ自分が信用されてないだけなのかもしれない。徐々にそう思うようになってきた、と。アンタの不安が相手の不安を呼んじまったんだぜ?そうまでして、まだアンタはくだらねぇ不安に脅えるのか?」

目を細めて真っ直ぐ元親を見る政宗の目は、どんな反応を示すのかと注視しているようだった。
他のメンバーもそれにつられるように、元親へと視線を送る。
そんなことを今まで考えたこともなかった。元親がを信用していないなど、あるわけもない。
しかしよくよく考えてみれば、不安を与えてしまう原因は全て自分自身にあった。
これが逆の立場なら、そう置き換えてみれば更によく分かる。
きっと元親も、同じような不安を覚えていたに違いない。
政宗からの指摘を受け、ようやく自分が仕出かした失態に気付く。
男らしさの欠片もないちっぽけで脆弱な悩みは、相手の不安を煽るばかりであったのか。
そんな自分は、海岸で浅瀬を覗き見ながら深海を恐れるような馬鹿だ、と。

「俺、馬鹿な真似しちまったな。」

ようやく声を発した元親に何を言うわけでもなく、肩や頭を叩いたり、笑みにも似た溜め息を吐いたりと、それぞれの励ましを見せてくれる面々。
友人らの優しさに感謝しながら、元親は決意を固める。
その表情に安堵したのか「宴もたけなわだ。」と解散を促したのは三成だった。
他人にも自分にも厳しい三成だからこそ、煮えきらぬ元親の態度に苛立ちを覚えては言葉少なくも進言してきたが、不器用さ故に責め立てるばかりで本来差し出してやるはずのアドバイスなどできなかった。
それを悔やむと同時に、厳しい口調とは裏腹に二人の行く末を陰ながら応援していた。
心を許せる数少ない友人に、不幸になってほしくない、と。
一足早く席を立ち一人になると珍しく柔和な微笑みを浮かべた。
その様子を背中から感じ取り誘われるように顔をほころばせた家康が元親の肩に手を置く。

「さあ、行こうか、元親!」
「おう!おめぇら…、ありがとよ!」

席を離れる友人らに感謝を告げると、皆の後を追うように席を立つ。
店を出て解散を迎える頃には日付も変わろうとしていた。
その足でコンビニへと走り、目的を果たすと急いで電話をかける。
3コール目で「もしもし」と聞き慣れた声に繋がると、深呼吸をするように胸一杯に空気を吸い込んだ。

「今週末、空いてっか?!」
『え、うん、予定はないけど、どうしたの?』
「水族館行こうぜ!お前、好きだろ!」
『好きだけど…、いいの…?』
「おうよ!もうチケットも買った!これからはあちこち出かけようぜ。…二人で、よ」

照れつつもしっかりと言い切る元親に、しばらく返事がない。
一瞬焦り、どうしたものかと次の言葉を探していると、鼻を啜る音が聞こえた。

「…?泣いてんのか?」
『ばかちか。』
「え?な、なんでだよ?!」
『何にも分かってないからばかちかなんですー!』
「んじゃ、なんだ?怒ってんのか?」
『どうして怒るの?怒るわけないよ、嬉し泣きに決まってるでしょ、ばかちか。』

繰り返される「ばかちか」に愛情を感じてしまい、繁華街のど真ん中ということも忘れて完全に緩みきった表情で電話を続ける。
終電に気付き慌てて電車に乗り込みながら電話を切った後も、口元は緩んだままだった。
ガラスに映った自分の顔に、今度は溜め息を吐かず「なんて顔してやがんだ」と呟きながら思わず吹き出す。
そして胸ポケットに入った2枚のチケットを確認する。
これほど心躍るのは、いつ以来だろうか。
そんなことを考えながら、きっと今頃同じように笑っているであろうの顔を思い浮かべては、ガラスに映る向こう側の景色へと視線を移した。

公開日:2014.09.13