Sleep Tight Mr.Hollow
慣れない長いキスに疲れたのか腰砕けになったのか、虚ろな目とふらふらと頼りない足取りのを連れ出し、どうにか車に乗せることができた。
ぼんやりと視点の定まらないに、政宗は込み上げてくる笑いを殺すが悪い気はしない。
キス一つでここまで溺れてくれるとは想像もしていなかったし、先週の慌てようを思えば立派な進歩だ。
の恋愛経験がさほど豊富でないことは既に調べがついている。目を付けた段階から小十郎に洗い浚い調査をさせていたためだ。
だからこそ、簡単に落とせるだろうと踏んでいたし、度重なる誘いに乗ってくるあたり向こうも認めているのだと思い込んでいた。
なのに、の口から出た言葉は「特別な関係でないから名前は呼べない」だった。これにはさすがに政宗も面食らったが、タダでは引き下がらぬ男だ。
有無を言わさず交際を了承させ、とりあえずとばかりにキスをした。
これまでの政宗であればそのままホテルに連れ込むなりしていたのだが、に限ってはお約束の手段は通用しなかった。
唇を重ねようとしただけで全身を硬直させた上に耳まで真っ赤にするものだから、政宗の方にも緊張が伝染してしまうのではと思った程だ。
いくら恋愛経験が豊富でないとはいえ、男とそういった関係になるのは初めてではないはずだが、まるで処女のような初々しい反応を返す。
やりづらいと言えばそれまでだが、これはこれで今までとは違ったタイプだと政宗の加虐心に火を点けた。
そもそも、男慣れしていないのために半年間も手を出さずにいてやったのだ。この程度で弱音を吐くわけにはいかない。

そしてようやく、この日が来た。
助手席のは相変わらずぐったりと、否、うっとりとした表情で、移ろう景色をぼんやりと眺めている。
これも一つの据え膳だろう。ここで帰すのは余りに勿体ないし、政宗とて端からそんなつもりはない。
どう料理してやろうか、と悪戯に口元を歪めたところで信号待ちに引っかかる。
政宗の自宅まではまだ少しばかり距離がある。我慢ができぬなど若い発言はしないがせっかくの機会だ。
一旦シートベルトを外し、助手席に身を寄せる。ゆっくりと顔を向けたは何をされるか分かっていないのか思考が働いていないのか、いずれにしても抵抗の一つもすることなく政宗を見つめている。
半開きになった唇に己のそれを寄せ、わざとらしくリップ音を立てて口付ける。幾度も繰り返してやれば、「はあ」と甘い吐息を漏らし始める。
先週のあの夜が嘘のような反応だ。気を良くした政宗が舌を突っ込みのそれに絡ませたところで信号が変わった。

「Shit!気が利かねえ」

空気の読めない信号機に舌打ちをしながらもシートベルトを締め直し、ハンドルを回す。
その後も、赤信号で車が停まるたびにキスをしたせいで政宗のフラストレーションはピークを迎えようとしていた。

そして車は政宗の住むマンションへ到着する。一等地に建つ高層マンションだ。
支えておかなければ倒れてしまいそうなの肩を抱きながらエレベーターに乗り込み、自宅へと急ぐ。
この家に女を上げるのは初めてだった。これまでにも若い頃から女には困ったことのない政宗であったが、一人暮らしを始めてからは家には連れ込まないようにしていた。
別れてからが厄介だし、付き合っている間であっても待たれたりでもしたら面倒だ。何より自分のプライベートに入り込まれることを政宗は嫌った。
しかしに関しては、他を犠牲にしてまで口説きにかかった唯一の女であり、政宗にとっては特別な存在だ。
むしろ、さっさと自分のペースに引き摺り込んでやりたかった。

「靴ぐらい脱げるだろ?早く入って来い」
「あ…はい。すみません」

玄関先でもたつくを急かしながら室内へと誘導し、逸る心を抑えなければと思いながらも早々にジャケットを脱ぎネクタイを緩める。
ソファに座らせたはといえば、最初はぼうっとしていたものの、次第に意識が覚醒を始めたのか辺りをきょろきょろと見回していた。

「さて、と。ここがどこかわかるか?」

遠すぎず近すぎず、には下手に意識させぬよう適度な距離をとりつつ政宗もソファに腰を下ろす。
理解が追いついていないような表情のに問えば、頬を赤らめながらもこくんと頷いた。
まったく可愛い反応してくれるものだ。声には出さず、政宗はくつくつと喉を鳴らす。
自宅のソファに男女が二人きり。ここまで来て、何もなかったという方が男として疑われる。
の頭に手を伸ばし、こちらへ引き寄せながら口付けた。車中でのキスよりも深く、オフィスでのそれよりかは軽い。
次第にの呼吸が変化を見せ始めると、徐々に押し倒しながら政宗はのブラウスに手を伸ばした。キスに集中させている間の方がやり易い。
左手はの頭の後ろに回している。空いている右手で器用にボタンを外し始めるとほっそりとした首元が見えた。たったそれだけで体がかっと熱くなる。
普段からは肌を出すような服装を好まず、襟元を開けることがない。だからこそ、ほんの少し肌が見えた程度であっても反応してしまうのは仕方がないと言えよう。
早く先に進みたい。しかし焦りは禁物だ。ごくりと喉を鳴らしながらも唇は離すことなく次のボタンに手を掛けた。は抵抗する様子もない。
しかし、二つ目のボタンを外してやったところで、途端に腕の中でがもがき始めた。最初は身を捩っている程度であったが、仕舞いには政宗の背中や腕をバシバシと叩いてくる始末だ。
これにはさすがの政宗も手を止めざるを得ない。顔を離し顰め面を向ければ、耳まで真っ赤に染めたが涙目で見つめている。
堪らない表情ではあるが嫌な予感がすることも確かだ。脳裏に1週間前の光景が蘇る。

「どうした?今更やめてくれ、なんて言いやしねえよな?」

なるべくが断りにくい言い回しで尋ねてやると、案の定やめてくれとは言っては来ずに、俯きながら肩を震わせているだけだ。
どうしたものかと頭を悩ませていると、下を向いたままのの顔からぽたりと雫が落ちる。どうやら泣かせてしまったらしい。

「何も泣くことはねえだろ。そこまで嫌か?」

溜め息を堪えながら出来る限り優しい声音で尋ねてやったが、はふるふると首を振るだけで何を答えることもしない。
行為自体を拒んでいるのか、それとも政宗とそういった関係になるのを拒んでいるのか、どちらとも判断つかない。
後者であればいくら政宗であっても泣きたくなるかもしれない。

「ご、ごめんなさい…」

ようやく口を開いたかと思えば、ただ詫びの言葉を告げられただけだ。
おまけに涙はどんどん大粒になり、ぐすぐすと泣きながら顔を擦るものだから、化粧がとれかかっている。
これ程までに泣かれる理由が全く思い当たらない政宗は、とにかく困り果てた。

「泣いてばかりじゃ俺は何もわからねえ。思ってることを言え」
「む、無理なんです。いざとなると恥ずかしくて、それに、やっぱり緊張してしまうし、とにかく、今は、まだ、無理なんです」

政宗は頭痛を覚えた。またしても、同じ文句でお預けをくらおうとしている。
恥ずかしい。緊張する。前回のキスも同じ理由で引っ掻かれたはずだと思い返せば我慢していた溜め息が漏れる。
その様子を見て罪悪感を覚えたのかまたしてもは「ごめんなさい」と呟きながら、更に涙を加速させる。

「OK. OK. 今日は何もしねえ。だから泣くな、頼むから」

どうにか泣き止まそうと、まるで幼子をあやすように頭を撫でてやる。
だから落ち着けと声を掛けてやると、目元を擦りながら頷き、再びすみませんと呟いた。
泣きたいのは俺の方だと肩を落としながらも大丈夫だと繰り返しを宥めることに専念していると、不意に視線が上げられ自然と上目使いになったを至近距離で拝んでしまった。どうにもできないと理解していながらも下腹部に熱が集まる。
男は女の涙に弱いとはよく言ったものだ。状況が状況なら所構わず押し倒していただろう。
しかし今日ばかりはそれができない。据え膳を目前にし、食わぬどころか食えぬが現状だ。
何もしないと言ってしまった以上は手出しできないし、ここで無理に進めてしまえばこの関係は確実に終わる。
6か月だろうと10ヶ月だろうと我慢するなら同じだ。政宗は諦めにも似た決意を半ば自棄になって唱える。

「伊達部長、あの、すみません…。落ち着いたら帰りますから」
「もう遅い。今日は泊まっていけ。心配しなくても何もしねえよ。俺はソファで寝る。お前がベッドで寝ろ」
「え、でも、それじゃ部長が、」
「構わねえ。シャワー浴びたきゃバスルームも好きに使え。悪いと思うなら従ってくれ」
「で、では、お言葉に甘えて今夜はお世話になります」

完全に脱力してしまった政宗の様子を窺うようなの視線に気付きながらも、目を合わせることはしなかった。
この状況で視線を交えてしまえば制御が利かないと政宗自身分かっていたためだ。

その数分後、バスルームへと消えたのために適当な着替えを用意しながら、俺は何をやってんだと自嘲気味に呟く政宗の表情は、すっかり疲れ切っていた。
湯上りのがこちらの気などお構いなしに隣に座り気遣うような視線を寄越してくるものだから、政宗はまた溜め息を吐く。

「一応、ベッドは半分空けておくので、ソファで眠れなかったら使ってくださいね」

完全に政宗を信用したのかリビングを去る間際にが笑顔で言った。おざなりに礼を述べドアが閉まった直後、いっそ殺してくれと頭を掻きむしる。生き地獄とは正に。
かつてないほどの苦しみを味わった政宗が抱いて眠るのは恋人ではなく虚しさばかり。
挫折を知らず約束された道を歩んできたはずの男が初めて経験する苦悩は計り知れない。
願わくば、憐れな君に幸のあらんことを。

公開日:2013.06.01
伊達部長シリーズ第3弾。たぶん続きます...?