名前の要らない恋だから

連絡もなしに現れて、人の予定を無視して出かけようと言う。
少し近所迷惑なエンジン音の中で彼は、いつもと変わらずけだるい表情で首をぽきりと鳴らした。
いつの間にか新調されていたもう1つのヘルメットを片手で持て余しながら。

アスファルトを蹴り上げてスクーターの後部座席に飛び乗る。

「ハイ、つかまって。」

習慣的に、なんの躊躇いもなく、目の前の腰にしがみついて吹く風を待った。
速まる速度を予想してその腕に力を込めると、ほんの少し振り向く。
何か言いたげな表情に慌てて力を緩めてしまえば、決まりが悪そうに頬を掻いた。
そんな態度をとられると、こちらとしてもどう対応するべきか思い悩む。

「…なに?」
「イヤ、俺はべつにいいんだけど。」
「けど?」
「胸あたってる。」

真顔であっさり言い放つものだから溜め息混じりに頭をひっぱたく。
ヘルメットのおかげでダメージをくらったのはこっちの方だった。
その様子に締まりのないニヤついた笑みを向けられ、今度は背中を思い切り叩く。

「いてェよ、オイ。」
「気持ちの悪い顔してる暇あったらさっさと出発してよ。」
「へいへい。」

次第に大きくなるエンジン音と全身に圧し掛かる振動。
走り出した瞬間の空はうっすらと赤く、遠くで沈む太陽はそれでも眩しい。
大きな背中から溢れる体温と移りゆく町並みはどこか似ている。
届きそうで届かない、近いようで遠い。
ひどく曖昧で、それでいて単純な関係が時間と共に流れていく。

バックミラー越しの視線に気付き目を合わせた。
前を見ろと首で促してやると、なにが可笑しいのかふっと笑って視線を戻す。
小さな、ごくごく小さな、注意していないと見落としてしまいそうな寂しさが不意に胸を突いて、なんだか悔しさを覚える。

「もうちょいしたら停めっから。」

減速しながら細い路地をすり抜ける。
行き先は知らない。
どうしようもなくぐうたらなくせになぜか、彼についていけば間違いない、と何の根拠もなく信じてしまう自分がいる。

「ちょっと歩くか。」
「原付は?」
「ここで留守番。」

車体を軽く叩きながらどこか楽しげに微笑む。
つられるように、何かに期待するように、私も同じように笑ってみせた。

いつの間にか不定期に習慣化していたこの時間を不思議に感じたことがない。
だからと言って、二人の間に何があるわけでもない。
ただ同じ時を過ごして、同じ風を感じて、とりとめもない会話をする。それだけのこと。
これが恋かと聞かれても、きっと私は上手く答えられないだろう。
それほどまでに、曖昧で、ぼんやりとした私と彼だった。
そんな二人を表すかのような、目の前で揺れるふわふわとした毛先。

「ンな見つめられると穴があくんですけど。いい男だってのは分かるけどね?」
「勘違いしないで馬鹿。」
「勘違いするような目ェしてんのはどこの誰よ。」
「それすらも勘違い。」

軽く肩にパンチしてやれば大げさに痛がるものだから、思わず声を上げて笑ってしまう。
なにを言うわけでもなく、あのけだるい瞳の奥でまっすぐこちらを捉える。

この目が、きっと私は好きなんだ。

不意に、そんな一文が頭をよぎって顔を熱くさせた。
自覚などしたことなかった。
二人で並んで歩いても、どんな言葉を交わしても、彼に対する恋慕など目に見えたことはなかった。
あまりの衝撃に、軽い脳震盪に襲われ立ち止まる。

「なに、どしたの?」

驚きに目を丸くし、こちらを覗き込む。
たった今気づかされたばかりの感情と見透かされそうな瞳に、破裂しそうなほど心臓がどんどんと音を叩く。
いつからだろう、いや、きっと、ずっと前からだ。
知らない、見えない、聞こえない。
そんな振りを決め込んで、心地よい関係に甘えていた。
友達のような顔をして、素知らぬふりで隣に居ただけだ。

「ううん、なんでもないよ。」

ようやく言葉を紡いでみたけれど、上擦った。
心臓がばくばくとうるさい。聞こえてしまうかもしれない、そう思うほどに。

「なんかいつものと違ェんだけど。目が甘いっつーか。ついに惚れちゃった感じ?」

でたらめに冗談を言うような顔をしながらも核心を突く言葉に、喉が渇く。
カラカラになった喉から声は出なかった。

「え、ちょ、なんか言ってくんねーと、アレじゃん。…期待、すんじゃん?」
「は!?」

ようやく絞り出た言葉には可愛げなんてまったくなくて、自分で自分を殴りたくなる。
それに加えて、この夕焼けよりも更に更に真っ赤に染まってしまった顔が何もかもを物語っていて、そのアンマッチ具合が羞恥心を掻き立てる。

「なんつって?」

いつもの調子で、はなかった。
真っ白な頭に反比例するような、めでたいような、顔色が、さっきのこの人の言葉を借りるなら、期待させる。
ようやく水分を得た喉で、ごくりと唾を飲み込めば、じっとその目を見つめた。

「あー、ちくしょう、ンなはずじゃなかったのによ!」

ぐしゃぐしゃと頭をかきむしりながら空を仰ぐ姿に思わず笑いがこみあげる。
この人も、こんな余裕のない顔をするんだ。
そう思えば、遠くの雲のように掴みどころのなかったこの人が、身近に思えた。

「銀ちゃんも、同じ人間なんだね。」
「ハイ?意味わかんねーし、今このタイミングで言うことじゃねーし?!」
「今このタイミングで言うことって、なぁに?」

分かりきった問いかけを投げてやると、慌てて目をそらしわざとらしく口笛なんて吹くから、涙を流すほどに笑ってしまう。
なんにも変わらない。私たちは、きっとこのままなんだろう。

「まァ、そういうことで?今後ともよろしくゥ。」
「そういうことって、どういうことなの。」

視線を合わせると同時に吹き出し笑い声が重なる。
そうだ、二人の関係に、今さら名前をつける必要なんてない。
ずっと前から、そう決まっていた。曖昧で、生温くも心地好い。
そんな私と彼の、なんてことない日常の1コマ。

公開日:2016.04.20
アンケスト企画で頂戴したリクエスト:銀さんお相手の同い年、両片思いのもどかしいお話
同い年感が出ていないしもどかしさもあるかどうか微妙ですが、両片思いからのハッピーエンドを目指してみました。 坂田銀時がなんだか可愛らしくなってしまったことに関してはノーコメントです(笑)。